砥上裕將 『7.5グラムの奇跡』2022/01/05

『僕は、線を描く』でデビューした砥上さんの二作目。
眼科で働く視能訓練士のお仕事本です。
砥上さんの妹さんが視能訓練士だそうです。


野宮恭一は眼科医院で働く視能訓練士。まだ一年目の新米視能訓練士です。
不器用で人見知りなのか人慣れしていなくて、就活では連敗続き。
やっと北見眼科医院で採用されました。
しかし先輩の視能訓練士、広瀬さんに叱られっぱなし(と本人は思っている)。
自分はこんなにも使えない人間なのかと落ち込む毎日。
それでも広瀬さんは怒鳴らず、穏やかに、「私にできないことを、野宮君ができることだってあると思うよ」と言ってくれます。
男性看護師の剛田さんはそんな恭一に「ノミー、元気出せよ!」と声をかけてくれます。
写真が趣味の看護師、丘本さんにはよく荷物持ちにかり出されます、笑。
眼科に来るのは目が見えにくいと訴える小学生、カラコンを使い、角膜に異常がある女性、緑内障のサラリーマンや喫茶店マスターなど様々な患者さんです。
恭一は先輩たち、患者さんたちと真摯に向き合い、やがて一人前の視能訓練士として成長していきます。

何十年と眼科に通っているので、看護師の他に検査をする人がいるのは知っていましたが、彼らのことを「視能訓練士」と呼ぶということは知りませんでした。
(詳しく知りたい方は公益社団法人日本視能訓練士協会のHPをご覧下さい。)
彼らとは視力を測ってもらったり、機械で検査をしてもらう時ぐらいしか関わりを持つことがなく、話したこともありませんでした。
正直に告白します。いつも短時間で終わるので、楽な仕事だなと思っていました。ごめんなさい。

第三話の「夜の虹」では緑内障患者のことが書かれています。
三十代の男性患者はいつになったら良くなるか、毎回来るたびに聞くと書いてありますが、そういう人は多いのかもしれません。
たまに白内障と名前が似ているので間違えている人がいて、未だに手術をすればよくなるんでしょうと言う人もいます。
本にも書いてあるように、緑内障は治らず、目薬や手術で病気の進行を遅らせて、視野を温存していくしかないのです。
前と同じように見えるかもしれませんが、視野の欠損した部分を脳が補って、見えているように思わせているのです。

私はこの患者さんのように三十代前半で緑内障が見つかりました。
コンタクトレンズを購入する前に行かされた眼科で眼圧を測り、眼圧が高かったので視野検査をして判明したのです。
大きなお店で安いレンズを買う時は気をつけてください。併設の眼科では眼圧は測らず、目の中をちょっと見て終わりです。医師に私が緑内障だと言ってもわからなかったです。
私は左目だけが緑内障で真ん中の視野が欠けていています。
片目で見ているのですが、それでも光がまぶしい、つまずきやすい、よく物にぶつかる、階段を降りるのが怖い、物を探せないなど色々とあります。
左目の左隅の視野が少し残っているので、助かることもあります。急に左から人が来たり、自転車や車が来たりしてもわかるからです。

「緑内障気質」のことが書いてありました。
検査の数値を気にする人が多いらしいです。私もそうですが、それが当たり前だと思っていたのですけどね、笑。
視野検査の結果をもらっているのですが、これも「緑内障気質」だと思われているのかしら。

緑内障の喫茶店のマスターの言葉を載せておきます。
緑内障で目薬なんか面倒だと思っている人へ。

「一日も欠かさず、どんなときも目薬を決まった時間に差し続けるのは、難しいことです。でもね、丁寧に生きる価値はあります。正確に目薬を差し続ける価値もあります。人生というのは本質的に手作りです。自分の手と心で作っていくものです」
「自分の光を守ることには価値があります。人生を形作るのは、自分の手と行いです。自分の手で積みあげてきたものは、形は変っても、その手触りは消えていったりはしないんですよ」

私は右目は緑内障にならないとは言われていますが、眼圧が20以上あり高いので目薬を差しています。が、よく忘れます。ダメですねぇwww。

「当たり前のように見えるということは、奇跡のようなものです」

この言葉を胸に、緑内障患者であることに慣れすぎていた自分を再度見直すことにします。

*公益社団法人日本視能訓練士協会のHPに短編小説集『7.5グラムの奇跡』の朗読動画が公開されています。是非聞いてみてください。
ここをクリック。