朝井まかて 『朝星夜星』2023/03/24

幕末から明治時代を生きた女性側の視点から描いた、日本初の洋食屋を始めた草野丈吉のお話です。


長崎の丸山町にある傾城屋「引田屋」の奥女中、ゆきは二十五歳で阿蘭陀料理の料理人、丈吉のところに嫁ぐ。

丈吉は天保11年(1840年)、農家に生まれる。
18歳でオランダ人の洗濯雑用係に雇われ、20歳でオランダ軍艦の乗務員になり、外国人の料理人のもとで料理修業をする。
21歳でオランダ総領事の専属料理人となる。
ゆきと結婚した文久三年(1863年)に伍代友厚のすすめで長崎郊外の伊良林の自宅を改造して「良林亭」という西洋料理店を開く。
店は六畳一間の6人以上収容できないようなところで、丈吉が一人で料理をつくり、サービスをした。
料金は一人前が今の約二万円。(材料がないので、輸入品に頼っていたため)
良林亭には若き陸奥宗光、五代友厚、後藤象二郎、岩崎弥太郎などがやって来た。

慶応三年(1867年)、「良林亭」は場所を移し、良林亭改め「自遊亭(その後自由亭となる)」となり、主に国内外の要人接待用の店として利用された。
その後後藤象二郎の引きにより大阪に進出。
明治三年(1870年)に川口与力に町に外国人用の止宿所(ホテル)「欧風亭ホテル」を開業。
明治四年(1871年)に梅本町に移転して「自由亭ホテル」と改称する。
明治九年(1876年)には京都に進出し、ホテル藤屋を開業する。
この間にロシア皇太子や明治天皇、長崎を訪問したアメリカ大統領のグランド将軍などの料理を担当する。
しかし無理を重ねたためか、丈吉は明治十九年(1886年)に死去する。享年四十七歳。
娘の錦が跡を継ぐ。


丈吉は明治の男だからか、仕事に邁進するばかりで周りが見えなく、妻であるゆきや娘、息子がどういう思いでいるのかまで思いがいたりません。

「男どもは己の志のままに突き進んでゆくのに、おなごは置き去りにされる。内助の功とやらに縛りつけられる。世間ではそれこそが褒められるご時世だが、当の本人はいかほど気持ちを折って畳んで奥歯を噛みしめていることか」

丈吉はこんなゆきの思いも知らず、妾までつくります。それも松竹梅の三人も。
「英雄色を好む」って本当なのねぇ。
嫉妬に悩むゆきですが、その後丈吉が亡くなっても三人とほのぼのとしたつき合いを続けたように書かれていますが、実際はどうなのでしょうね。
ちょっと鈍いところのあるゆきが丈吉にとってよかったのかもしれませんね。

幕末から明治初期の偉人たちとの会話はフィクションでしょうが、なかなか面白かったです。
陸奥はそんなに嫌われていたのでしょうか?
彼は「西洋夫人の見た日本の美男子」だそうですよ。奥さん、もの凄い美人です。
坂本龍馬は「独立して自らを其志を行うを得るものは只余と陸奥のみ」と言って陸奥を買っていたそうで、やっかみでしょうか。
陸奥と共に興味が持てたのが、五代友厚です。
五代と言えば、ディーン・フジオカが思い浮かびますが、本物はそれほどイケメンではないです(ゴメン)。
それでも魅力的な人です。

この頃本やまんがをドラマにすることが多いですが、この本もなりそうですね。
感動とまではいきませんでしたが、幕末から明治初期にかけて興味がある人にはお勧めの本です。


<今日のわんこ>
兄犬はめったにおもちゃで遊びません。
特に弟が遊んだおもちゃは唾液がべったりついているので、使いません。
そのはずなのに…。


アレ、おもちゃを咥えている…。


どうしたの?
たまには僕もおもちゃで遊びたかったの?

弟は持って来いをしますが、兄はしません。
取ってみろで、取ろうとすると逃げていきます。
しばらくママは兄犬を捕まえようと、あっちへ行き、こっちへ行き、大変でした。

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