「ボウリング・フォー・コロンバン」を観る ― 2008/07/21

日本で10代の若者が親を殺すことが続いて起こっているように、アメリカでは教育現場での銃乱射事件が連鎖していますね。
そういえば、アメリカで親殺しは少ないそうです。
文化の違いでしょうか。
突撃インタビューが得意なマイケル・ムーアが、2000年に作った作品を見てみました。
『シッコ』が意外とよかったので、この作品もアメリカの暗部を暴き出す内容かとの期待感が大きかったです。
最初の場面は、コロラド州のある銀行が、口座を開いてくれた人にもれなく銃をプレゼントというものでした。
おいおい、銃だぜ。
こんなものいる人いるのと思うのは、日本人の私だから。
みんな喜んでもらっていくようです。
アメリカでは子どもでも銃が買え、その上、どこにでもあるKマートに弾丸が売っています。
誰でも弾丸が買え、それも1弾数十円だとか。
銃だって数万円だといいますから、驚きです。
銃を規制しないのは、アメリカの流血の歴史、文化、権利だといいます。
憲法で保障されているように、自分の身を自分で守るというのは、市民の責任だというのです。
武装することで、本当に自分を守れるのでしょうか?
コロンバン高校がある地域には、最大の武器工場があります。
この武器工場で働く人の子ども達が、コロンバン高校に行っているのです。
犯人のエリックとディランの二人は、いじめにあっていたらしく、他のいじめにあっていた子達と自警団、トレンチコート・マフィアを結成していたといいます。
このことから、アメリカにはいじめはないということが嘘であることがわかります。
ひょっとすると日本以上にひどいいじめなのかもしれません。
インタビューで元コロンバイン高校生がこう言っていました。
コロンバイン高校は平均的高校だ。「六年生の頃、今失敗すると、一生ダメ人間だ」と教師に言われたと。
1999年4月20日、計960発。生徒12名、教師1名死亡。重軽傷24名。乱射45分間。
この事件の後、各学校は生徒の銃や刃物の持ち込みを禁止します。
金属探知機などを使用した学校もあります。
規制は服にまで及び、流行の服装は武器を隠すところがあるので、だぼだぼしたTシャツやパンツを着ないようにという指導までします。
映画に出てきた男の子が、服から次々と武器を出していく場面にはびっくししました。
本当に隠そうと思えば、いくらでも拳銃からライフルまで隠せるのですよ。
ムーアは南部にも行き、白人の中にある"Culture of Fear"についても触れています。
犯人といえば、黒人という思い込みに支配されているのです。
ほとんどの黒人は銃に対し反対を唱えているにもかかわらず。
統計的に殺人は20%減っているのですが、ニュースで殺人を報道するのは600%増えているそうです。
何故なのか?
人々に恐怖を植え付けるためでしょうか。
さて、他の国はどうでしょうか。
銃がなければいいのでしょうか?
アメリカと同じように銃を持っているカナダでは…。
カナダの町で殺人事件が起こるのは、年に1回あるかないかだそうです。
少なくとも、ムーアがインタビューした町ではそうでした。
湖の反対側に犯罪率では全米で上位であるデトロイトがあるのに。
カナダの政治家はこういいます。
「貧者を叩いてもいいことはない。貧者は保護するものである」。
カナダでは誰でも医療を受けられ、アメリカのスラム街のようなところはありません。
2000年当時は(今もそうでしょうが)、家のドアの鍵を閉める人はいないのです。
インタビューを受けた人の中には、泥棒に入られたことがある人もいますが、だからといって、鍵をかけたり、銃を持ったりしようとは思わないのです。
あるカナダ人は言います。「ドアを閉めることは、自分を閉じこめることだ」
アメリカでは、ドアを閉めることは、他人を閉め出すこと。
同じように銃を保持しているのに、何故このような違いがあるのでしょうか?
そう、それは「恐怖」なのです。
アメリカ人は互いに相手を信用していないのです。
恐怖に支配された国なのです。
その恐怖というのは、実態のない、理由のない恐怖なのです。
ムーアの言いたいことは、アメリカ政府はマスコミや企業(もちろん今回は武器製造会社)と癒着して、国民に恐怖を植え付けている。
何故なら、恐怖に支配された人は、扱いやすいから。
図らずとも、『シッコ』でムーアが主張していたことと重なります。
全米ライフル協会が、この事件後すぐに集会を開いたことを、この映画で批判していますが、これは前年に決まっていたのだから、批判するのは筋違いだという意見もあるようです。
でもね、人が殺されているんですよ。
止めるとかできなかったのでしょうかね。
お待ちかねの突撃インタビューは、全米ライフル協会の当時の会長、チャールトン・ヘストンとKマートでした。
ヘストンはただのもうろくした爺さんでした(失礼)。
Kマートでは弾丸を売るのを止めたそうですが、今でもそうでしょうか?
笑ってしまったのは、日本のことを映画の中で取り上げているのに、ムーアは日本に一度も来たことはないですよね。
その理由は、ただ単に、遠いから。おいおい。
そういえば、アメリカで親殺しは少ないそうです。
文化の違いでしょうか。
突撃インタビューが得意なマイケル・ムーアが、2000年に作った作品を見てみました。
『シッコ』が意外とよかったので、この作品もアメリカの暗部を暴き出す内容かとの期待感が大きかったです。
最初の場面は、コロラド州のある銀行が、口座を開いてくれた人にもれなく銃をプレゼントというものでした。
おいおい、銃だぜ。
こんなものいる人いるのと思うのは、日本人の私だから。
みんな喜んでもらっていくようです。
アメリカでは子どもでも銃が買え、その上、どこにでもあるKマートに弾丸が売っています。
誰でも弾丸が買え、それも1弾数十円だとか。
銃だって数万円だといいますから、驚きです。
銃を規制しないのは、アメリカの流血の歴史、文化、権利だといいます。
憲法で保障されているように、自分の身を自分で守るというのは、市民の責任だというのです。
武装することで、本当に自分を守れるのでしょうか?
コロンバン高校がある地域には、最大の武器工場があります。
この武器工場で働く人の子ども達が、コロンバン高校に行っているのです。
犯人のエリックとディランの二人は、いじめにあっていたらしく、他のいじめにあっていた子達と自警団、トレンチコート・マフィアを結成していたといいます。
このことから、アメリカにはいじめはないということが嘘であることがわかります。
ひょっとすると日本以上にひどいいじめなのかもしれません。
インタビューで元コロンバイン高校生がこう言っていました。
コロンバイン高校は平均的高校だ。「六年生の頃、今失敗すると、一生ダメ人間だ」と教師に言われたと。
1999年4月20日、計960発。生徒12名、教師1名死亡。重軽傷24名。乱射45分間。
この事件の後、各学校は生徒の銃や刃物の持ち込みを禁止します。
金属探知機などを使用した学校もあります。
規制は服にまで及び、流行の服装は武器を隠すところがあるので、だぼだぼしたTシャツやパンツを着ないようにという指導までします。
映画に出てきた男の子が、服から次々と武器を出していく場面にはびっくししました。
本当に隠そうと思えば、いくらでも拳銃からライフルまで隠せるのですよ。
ムーアは南部にも行き、白人の中にある"Culture of Fear"についても触れています。
犯人といえば、黒人という思い込みに支配されているのです。
ほとんどの黒人は銃に対し反対を唱えているにもかかわらず。
統計的に殺人は20%減っているのですが、ニュースで殺人を報道するのは600%増えているそうです。
何故なのか?
人々に恐怖を植え付けるためでしょうか。
さて、他の国はどうでしょうか。
銃がなければいいのでしょうか?
アメリカと同じように銃を持っているカナダでは…。
カナダの町で殺人事件が起こるのは、年に1回あるかないかだそうです。
少なくとも、ムーアがインタビューした町ではそうでした。
湖の反対側に犯罪率では全米で上位であるデトロイトがあるのに。
カナダの政治家はこういいます。
「貧者を叩いてもいいことはない。貧者は保護するものである」。
カナダでは誰でも医療を受けられ、アメリカのスラム街のようなところはありません。
2000年当時は(今もそうでしょうが)、家のドアの鍵を閉める人はいないのです。
インタビューを受けた人の中には、泥棒に入られたことがある人もいますが、だからといって、鍵をかけたり、銃を持ったりしようとは思わないのです。
あるカナダ人は言います。「ドアを閉めることは、自分を閉じこめることだ」
アメリカでは、ドアを閉めることは、他人を閉め出すこと。
同じように銃を保持しているのに、何故このような違いがあるのでしょうか?
そう、それは「恐怖」なのです。
アメリカ人は互いに相手を信用していないのです。
恐怖に支配された国なのです。
その恐怖というのは、実態のない、理由のない恐怖なのです。
ムーアの言いたいことは、アメリカ政府はマスコミや企業(もちろん今回は武器製造会社)と癒着して、国民に恐怖を植え付けている。
何故なら、恐怖に支配された人は、扱いやすいから。
図らずとも、『シッコ』でムーアが主張していたことと重なります。
全米ライフル協会が、この事件後すぐに集会を開いたことを、この映画で批判していますが、これは前年に決まっていたのだから、批判するのは筋違いだという意見もあるようです。
でもね、人が殺されているんですよ。
止めるとかできなかったのでしょうかね。
お待ちかねの突撃インタビューは、全米ライフル協会の当時の会長、チャールトン・ヘストンとKマートでした。
ヘストンはただのもうろくした爺さんでした(失礼)。
Kマートでは弾丸を売るのを止めたそうですが、今でもそうでしょうか?
笑ってしまったのは、日本のことを映画の中で取り上げているのに、ムーアは日本に一度も来たことはないですよね。
その理由は、ただ単に、遠いから。おいおい。
「スーパーサイズ・ミー」を観る ― 2008/07/22

プロデューサー、監督、被験者の3役:モーガン・スパーロック(2004年製作)
ファーストフードは週に何回食べますか?
1日3食、マクドナルドを食べたいと思いますか?
私はファーストフードはいつ食べたか、思い出せません。
マックには1年に1回入ればいい方です。
ちなみに、ラーメンもいつ食べたか思い出せません。
でも、太っているのは何故でしょうね。
ジャンクフードより、甘い物が元凶か…。
それは置いておいて。
モーガンさんは、普通の大人なら不可能に近いことをやりとげました。
身長188㎝、体重84.3㎏。コレステロール値、168。血圧、中性脂肪、その他正常値。
さて、さて。
3日目で、彼が大量のポテトとハンバーガーを食べて吐くのを見て、どうなることかと思ったのですが、慣れるもんですね。
その後、平気で日本の倍以上あるドリンクを飲み、ポテトをほおばり、スーパーサイズのハンバーガーをパクついています。
しかし、1週間、2週間と時が経つにつれ、頭痛がして、性生活もなくなり、気分は最低になっていきます。
マックを食べると気分がよくなるなど、マック中毒の様相が出てきます。
コレステロールも222まで増え、肝臓は脂肪肝気味に。
このまま高脂肪食を続けると、痛風や結石になると医者に言われます。
22日目には体重が95.3㎏。
すごい。すごすぎる。
ちなみに、全米一の肥満市はヒューストンだそうです。
たぶん、ヒューストンの所得率は低いんではないでしょうか。
びっくりしたのが、学校給食です。
日本と違い、アメリカの給食にジャンクフード会社が進出しているのです。
何故か。儲かるからです。
なんか大企業に、私たちの健康まで左右されているんですね。
無知は怖いなと思いました。
今と同じようにジャンクフードは食べないようにしますが、これでもかと出てくるおデブちゃん達を見て、マジに痩せよう思いました。
やっぱりデブは醜いものね。
ここでお勉強。
カロリーとは何でしょう。
1カロリーは、水1リットルを1度上げる熱量だそうです。
知らなかった…(恥)。
マック大好き人間に是非とも見て欲しいです。
見てからも、マックが食べられたら、あなたは本物!
ファーストフードは週に何回食べますか?
1日3食、マクドナルドを食べたいと思いますか?
私はファーストフードはいつ食べたか、思い出せません。
マックには1年に1回入ればいい方です。
ちなみに、ラーメンもいつ食べたか思い出せません。
でも、太っているのは何故でしょうね。
ジャンクフードより、甘い物が元凶か…。
それは置いておいて。
モーガンさんは、普通の大人なら不可能に近いことをやりとげました。
身長188㎝、体重84.3㎏。コレステロール値、168。血圧、中性脂肪、その他正常値。
さて、さて。
3日目で、彼が大量のポテトとハンバーガーを食べて吐くのを見て、どうなることかと思ったのですが、慣れるもんですね。
その後、平気で日本の倍以上あるドリンクを飲み、ポテトをほおばり、スーパーサイズのハンバーガーをパクついています。
しかし、1週間、2週間と時が経つにつれ、頭痛がして、性生活もなくなり、気分は最低になっていきます。
マックを食べると気分がよくなるなど、マック中毒の様相が出てきます。
コレステロールも222まで増え、肝臓は脂肪肝気味に。
このまま高脂肪食を続けると、痛風や結石になると医者に言われます。
22日目には体重が95.3㎏。
すごい。すごすぎる。
ちなみに、全米一の肥満市はヒューストンだそうです。
たぶん、ヒューストンの所得率は低いんではないでしょうか。
びっくりしたのが、学校給食です。
日本と違い、アメリカの給食にジャンクフード会社が進出しているのです。
何故か。儲かるからです。
なんか大企業に、私たちの健康まで左右されているんですね。
無知は怖いなと思いました。
今と同じようにジャンクフードは食べないようにしますが、これでもかと出てくるおデブちゃん達を見て、マジに痩せよう思いました。
やっぱりデブは醜いものね。
ここでお勉強。
カロリーとは何でしょう。
1カロリーは、水1リットルを1度上げる熱量だそうです。
知らなかった…(恥)。
マック大好き人間に是非とも見て欲しいです。
見てからも、マックが食べられたら、あなたは本物!
カレン・マキナニー 『注文の多い宿泊客』 ― 2008/07/23

新しいミステリー・シリーズです。
ホント、色々と思いつくものですね。
アメリカの北東部メイン州の風光明媚な島、クランベリー島が舞台になります。
主人公のナタリー・バーンズは、この島にある築百五十年の船長の家に一目惚れして、全財産とローンを使い、家を手に入れました。
そして、始めたのが「グレイ・ホエール・イン」というB&Bです。
ところが現実は大変。お客さんはそう簡単には来てくれません。
その上、アジサシという鳥の巣のある、となりの土地にリゾートを作ろうという計画が…。
一体彼女のB&Bはどうなるんでしょうか。
その日のお客は、リゾートを計画している張本人、土地開発会社社長バーナード・カッツと彼のアシスタントのオグデン・ウィルスン、絵を描きにアラバマから来た老カップル、そして今夜の会合のために来ることになっている沿岸保護協会のバーバラ。
その夜、会合が開かれ、味方だと思っていた行政委員のイングリッドが賛成したため、なんとカッツの会社に二百十万ドルで土地を売ることになってしまいます。
そう、もうおわかりだと思いますが、殺されたのはカッツ。
どうも崖から突き飛ばされたようです。
たまたまカッツを見つけたために、ナタリーは容疑者となってしまいます。
さて、島に来て間もないナタリーは、どうやって自分の容疑をはらしていくのでしょうか。
このお話でなんといっても、うれしいのが、美味しそうな朝食の数々です。
例えば、ブルーベリーコーヒーケーキとフルーツサラダ、全粒粉トーストとスクランブルエッグ。
スモークサーモンのせベーグルとブルーベリーマフィン、フルーツサラダのホイップクリーム添え。
あんまり美味しそうに思えませんか?本を読むと、唾が出てきますよ。
日本の朝食もいいけれど、私的にはナタリーの朝食の方が好きです。
そうそう、レシピもついていますので、お菓子作りが趣味の人がいたら、作ってみてください。
「必殺(キラー)・クランベリー・スコーン」とか「クランベリー鳥失神(ブラック・アウト)ブラウニー」とか、名前がすごいですよwww。
ホント、色々と思いつくものですね。
アメリカの北東部メイン州の風光明媚な島、クランベリー島が舞台になります。
主人公のナタリー・バーンズは、この島にある築百五十年の船長の家に一目惚れして、全財産とローンを使い、家を手に入れました。
そして、始めたのが「グレイ・ホエール・イン」というB&Bです。
ところが現実は大変。お客さんはそう簡単には来てくれません。
その上、アジサシという鳥の巣のある、となりの土地にリゾートを作ろうという計画が…。
一体彼女のB&Bはどうなるんでしょうか。
その日のお客は、リゾートを計画している張本人、土地開発会社社長バーナード・カッツと彼のアシスタントのオグデン・ウィルスン、絵を描きにアラバマから来た老カップル、そして今夜の会合のために来ることになっている沿岸保護協会のバーバラ。
その夜、会合が開かれ、味方だと思っていた行政委員のイングリッドが賛成したため、なんとカッツの会社に二百十万ドルで土地を売ることになってしまいます。
そう、もうおわかりだと思いますが、殺されたのはカッツ。
どうも崖から突き飛ばされたようです。
たまたまカッツを見つけたために、ナタリーは容疑者となってしまいます。
さて、島に来て間もないナタリーは、どうやって自分の容疑をはらしていくのでしょうか。
このお話でなんといっても、うれしいのが、美味しそうな朝食の数々です。
例えば、ブルーベリーコーヒーケーキとフルーツサラダ、全粒粉トーストとスクランブルエッグ。
スモークサーモンのせベーグルとブルーベリーマフィン、フルーツサラダのホイップクリーム添え。
あんまり美味しそうに思えませんか?本を読むと、唾が出てきますよ。
日本の朝食もいいけれど、私的にはナタリーの朝食の方が好きです。
そうそう、レシピもついていますので、お菓子作りが趣味の人がいたら、作ってみてください。
「必殺(キラー)・クランベリー・スコーン」とか「クランベリー鳥失神(ブラック・アウト)ブラウニー」とか、名前がすごいですよwww。
アメリカン・バレエ・シアター 「白鳥の湖」を観る ― 2008/07/25

や~、昨夜の白鳥、よかったです。
何故「白鳥の湖」が「古典中の古典」と言われているのかがわかりました。
私のバレエの知識は主に漫画から来ています。
『ドゥダダンシン!(ヴェネチア国際編)1・2』をこの前読んだのですが、25歳の遅れてきたダンサー、桜庭鯛子がヴェネチア国際にでるためにと、愛子先生が選んだのが、この白鳥でした。
「古典を極めた者こそ どんなダンスへも行けるのです。その逆はありません」と言う愛子先生です。
自他共に認める我の強い鯛子が、「私」を捨てて白鳥という役にならなければならないのですが、それはできないと悩む鯛子。
相手役の龍一は「役の中に自分の真実を見つけて 本物の感情を乗せた時 時代や人種を越えて人を感動させられる。くだらない自我を捨てた時 はじめて本物の個性が表面に出てくるんだ」と鯛子に言います。
う~ん、すごい。
さて、実際の白鳥は…。
オデット/オディール:イリーナ・ドヴォロヴェンコ
ジークリード王子:マキシム・ベロセルコフスキー
ロットバルト:ロマン・ズービン、ゲンナジー・サヴェリエフ
見ておわかりのように、今回はロットバルトに特別な役割が与えられています。
二人のダンサーが演じ分けているのです。
不細工な悪魔と見目麗しい紳士。
どこでどう替わるのかを見るのも楽しみのひとつです。
不細工な悪魔君の方はあまり見せ場がなくて、かわいそうでしたが、笑。
オデットと王子は、名前を見ておわかりのように、出身がウクライナ共和国のキエフで、なんと夫婦です。
キエフ・バレエ仕込みの白鳥です。
パンフレットにお子さんがいると書いてありました。
でもイリーナさんは、そんな風には全く見えませんでした。
軽々と踊っています。
手の表情が豊かで、なんと書いたらいいのかわかりませんが、天の方へ身体が伸びていくような感じがしました。
決めポーズが美しいです。
ここで、またまた私の勘違いを書かなければなりません。
「瀕死の白鳥」って、「白鳥の湖」とは関係なかったのですね。
いつ踊るのかと待っていましたが、ありませんでした。ハ・ハ・ハ。
「白鳥の湖」のプロローグで、オデット姫が悪魔ロットバルトに魔法をかけられてしまいます。
第一幕は王子の誕生日の祝宴です。
21歳になり、王妃に石矢を贈られ、明日の舞踏会で花嫁を選ぶようにと念を押されます。
気ままに暮らすのも終わりかと、気が滅入った王子は森に出かけます。
第二幕。王子は湖畔で一羽の美しい白鳥を見かけます。
その白鳥はやがて美しい娘に変身します。
王子は出ていって、何故そのような姿になったのか説明してくれるように頼みます。
オデットは自分の運命について王子に語ります。
この第二幕と四幕の湖畔の場面がいいです。
何羽もの白鳥になったバレリーナ達が美しいこと。
第三幕。大広間で舞踏会が始まります。
そこにロットバルトが娘のオディールを連れてやってきます。
王子はオディールに惑わされ、彼女と結婚すると宣言してしまいます。
ここであの有名な黒鳥の踊りが。軽々と32回転をしました。
第4幕。王子は湖畔に行き、オデットに許しを請います。
オデットは自ら命を絶たなければ、永遠に白鳥のままであることを告げます。
王子は彼女と一緒に死ぬと宣言します。
ロットバルトが現れ、二人を脅しますが、二人は湖に身を投げてしまいます。
最後の場面は二通りあり、もともとは悲劇で終わるのですが、ハッピーエンドもあるそうです。
私は悲劇の方が好きです。
王子の優柔不断ないい加減さが、悲劇を生み出したようですから。
まあ、仕方ないわね。
彼が王様になると、国も滅びそうなので、よかったかもと思う私は冷たいですかね。
今回は奮発して、S席、前から9列目だったので、人の頭も邪魔にならず、とってもよく舞台が見えました。
だからという訳ではないと思いますが、いい舞台だったと思います。
キャストが毎日替わっているようなので、他の人のも観たかったのですが、先立つものが続きません。
バレエ鑑賞が趣味になると、大変。
次から次へと、いいバレエ団が来日するんですから。
あ、そうそう。この前いた髪が邪魔だった女性、昨日もいました。
あの髪型、めったにいないもの。切ってやりたい、笑。
何故「白鳥の湖」が「古典中の古典」と言われているのかがわかりました。
私のバレエの知識は主に漫画から来ています。
『ドゥダダンシン!(ヴェネチア国際編)1・2』をこの前読んだのですが、25歳の遅れてきたダンサー、桜庭鯛子がヴェネチア国際にでるためにと、愛子先生が選んだのが、この白鳥でした。
「古典を極めた者こそ どんなダンスへも行けるのです。その逆はありません」と言う愛子先生です。
自他共に認める我の強い鯛子が、「私」を捨てて白鳥という役にならなければならないのですが、それはできないと悩む鯛子。
相手役の龍一は「役の中に自分の真実を見つけて 本物の感情を乗せた時 時代や人種を越えて人を感動させられる。くだらない自我を捨てた時 はじめて本物の個性が表面に出てくるんだ」と鯛子に言います。
う~ん、すごい。
さて、実際の白鳥は…。
オデット/オディール:イリーナ・ドヴォロヴェンコ
ジークリード王子:マキシム・ベロセルコフスキー
ロットバルト:ロマン・ズービン、ゲンナジー・サヴェリエフ
見ておわかりのように、今回はロットバルトに特別な役割が与えられています。
二人のダンサーが演じ分けているのです。
不細工な悪魔と見目麗しい紳士。
どこでどう替わるのかを見るのも楽しみのひとつです。
不細工な悪魔君の方はあまり見せ場がなくて、かわいそうでしたが、笑。
オデットと王子は、名前を見ておわかりのように、出身がウクライナ共和国のキエフで、なんと夫婦です。
キエフ・バレエ仕込みの白鳥です。
パンフレットにお子さんがいると書いてありました。
でもイリーナさんは、そんな風には全く見えませんでした。
軽々と踊っています。
手の表情が豊かで、なんと書いたらいいのかわかりませんが、天の方へ身体が伸びていくような感じがしました。
決めポーズが美しいです。
ここで、またまた私の勘違いを書かなければなりません。
「瀕死の白鳥」って、「白鳥の湖」とは関係なかったのですね。
いつ踊るのかと待っていましたが、ありませんでした。ハ・ハ・ハ。
「白鳥の湖」のプロローグで、オデット姫が悪魔ロットバルトに魔法をかけられてしまいます。
第一幕は王子の誕生日の祝宴です。
21歳になり、王妃に石矢を贈られ、明日の舞踏会で花嫁を選ぶようにと念を押されます。
気ままに暮らすのも終わりかと、気が滅入った王子は森に出かけます。
第二幕。王子は湖畔で一羽の美しい白鳥を見かけます。
その白鳥はやがて美しい娘に変身します。
王子は出ていって、何故そのような姿になったのか説明してくれるように頼みます。
オデットは自分の運命について王子に語ります。
この第二幕と四幕の湖畔の場面がいいです。
何羽もの白鳥になったバレリーナ達が美しいこと。
第三幕。大広間で舞踏会が始まります。
そこにロットバルトが娘のオディールを連れてやってきます。
王子はオディールに惑わされ、彼女と結婚すると宣言してしまいます。
ここであの有名な黒鳥の踊りが。軽々と32回転をしました。
第4幕。王子は湖畔に行き、オデットに許しを請います。
オデットは自ら命を絶たなければ、永遠に白鳥のままであることを告げます。
王子は彼女と一緒に死ぬと宣言します。
ロットバルトが現れ、二人を脅しますが、二人は湖に身を投げてしまいます。
最後の場面は二通りあり、もともとは悲劇で終わるのですが、ハッピーエンドもあるそうです。
私は悲劇の方が好きです。
王子の優柔不断ないい加減さが、悲劇を生み出したようですから。
まあ、仕方ないわね。
彼が王様になると、国も滅びそうなので、よかったかもと思う私は冷たいですかね。
今回は奮発して、S席、前から9列目だったので、人の頭も邪魔にならず、とってもよく舞台が見えました。
だからという訳ではないと思いますが、いい舞台だったと思います。
キャストが毎日替わっているようなので、他の人のも観たかったのですが、先立つものが続きません。
バレエ鑑賞が趣味になると、大変。
次から次へと、いいバレエ団が来日するんですから。
あ、そうそう。この前いた髪が邪魔だった女性、昨日もいました。
あの髪型、めったにいないもの。切ってやりたい、笑。
ルイーズ・ペニー 『スリー・パインズ村の不思議な事件』 ― 2008/07/26

新シリーズです。帯に色々と新人賞を取っていることが書いてありました。
犯罪がめったにない、カナダの村、スリー・パインズに起こった殺人事件を、性格がよく、有能なケベック州警察殺人課警部のアルマン・ガマシュが解決していきます。
元教師のジェーン・ニールが森で、矢で射られて死んでいるのが見つかりました。
狩猟事故なのか故意の殺人事件なのか、ガマシュ達は迷います。
調べても、これといったことはなく、唯一関係ありそうなのが、ジェーンが死ぬ前にした二つのことです。
一つ目は、子どもがゲイ・カップルに糞をなげつけたのを怒鳴りつけたことと、二つ目は、絵を描くことを公然の秘密にしていたのに、「フェア・デイ」という絵を展覧会に出品したことです。
ガマシュはただ村をまわり、村の景色を愛で、村人の話を聞くだけです。
アメリカのミステリーに登場する、派手な科学捜査は出てきません。
この本の魅力は、カナダの村の景色と登場する人たちなのです。
ジェーンの隣人で友人、芸術家のクララとピーター夫婦。
ピーターの友人のベン。
ゲイ・カップルでビストロを経営しているオリヴィエとガブリ。
マシュー家族。ジェーンの姪、ヨランド一家。
父親の期待を一心に受け、上昇志向が強すぎて、周りが見えない刑事イベット。
そして、ガマシュの良き片腕、ジャン・ギー・ボーヴォワール。
一見人の良い、騙しやすいおじさんかと思えるのですが、ガマシュはよく見ているんです。
唯一の欠点は、イベットのような落ちこぼれ刑事をどうにかしようとすることです。
側にいるボーヴォワールはそれがわかるから、心配なのです。
本の中に結構哲学的な会話がありました。本屋のマーナとガマシュの会話です。
「人生とは喪失である」
「親を失う、愛する人を失う、仕事を失う、それゆえ、こうしたものや人よりも、人生において高い意味をもつものを見つけなければならない。さもないと自分自身を失ってしまう」
「永遠につづくものなどなく、変化は避けられない、ということを受け入れられれば、それに順応できれば、もっと幸せになれるのよ」
「問題は彼ら自身のものであり、解決するのも彼ら自身なのです。自分で抜け出すしかないんです」
「自分だけが、自分の人生を変えられ、方向転換できるのよ」
「多くの人たちは自分の問題を愛しているんです。成長して人生をうまくやっていかなくてよいというあらゆる種類の口実になるから」
「人生は変化です。人間が成長せず、進化していなければ、同じところにじっと立っているだけ、それ以外の世界はどんどん変化しているのに。こうした人々の大半はひじょうに未熟です。彼らは”静止した”人生を送り、ただ待っているんです」「誰かが救ってくれるのを。」
現在起こっている犯罪のほとんどが、自分自身の問題を誰か他の人(特に親)や社会のせいにして起こるような気がします。
問題は外にあり、自分自身は悪くない。
自分を見つめるのは、辛いですからねぇ。
色々と考えさせられました。
犯罪がめったにない、カナダの村、スリー・パインズに起こった殺人事件を、性格がよく、有能なケベック州警察殺人課警部のアルマン・ガマシュが解決していきます。
元教師のジェーン・ニールが森で、矢で射られて死んでいるのが見つかりました。
狩猟事故なのか故意の殺人事件なのか、ガマシュ達は迷います。
調べても、これといったことはなく、唯一関係ありそうなのが、ジェーンが死ぬ前にした二つのことです。
一つ目は、子どもがゲイ・カップルに糞をなげつけたのを怒鳴りつけたことと、二つ目は、絵を描くことを公然の秘密にしていたのに、「フェア・デイ」という絵を展覧会に出品したことです。
ガマシュはただ村をまわり、村の景色を愛で、村人の話を聞くだけです。
アメリカのミステリーに登場する、派手な科学捜査は出てきません。
この本の魅力は、カナダの村の景色と登場する人たちなのです。
ジェーンの隣人で友人、芸術家のクララとピーター夫婦。
ピーターの友人のベン。
ゲイ・カップルでビストロを経営しているオリヴィエとガブリ。
マシュー家族。ジェーンの姪、ヨランド一家。
父親の期待を一心に受け、上昇志向が強すぎて、周りが見えない刑事イベット。
そして、ガマシュの良き片腕、ジャン・ギー・ボーヴォワール。
一見人の良い、騙しやすいおじさんかと思えるのですが、ガマシュはよく見ているんです。
唯一の欠点は、イベットのような落ちこぼれ刑事をどうにかしようとすることです。
側にいるボーヴォワールはそれがわかるから、心配なのです。
本の中に結構哲学的な会話がありました。本屋のマーナとガマシュの会話です。
「人生とは喪失である」
「親を失う、愛する人を失う、仕事を失う、それゆえ、こうしたものや人よりも、人生において高い意味をもつものを見つけなければならない。さもないと自分自身を失ってしまう」
「永遠につづくものなどなく、変化は避けられない、ということを受け入れられれば、それに順応できれば、もっと幸せになれるのよ」
「問題は彼ら自身のものであり、解決するのも彼ら自身なのです。自分で抜け出すしかないんです」
「自分だけが、自分の人生を変えられ、方向転換できるのよ」
「多くの人たちは自分の問題を愛しているんです。成長して人生をうまくやっていかなくてよいというあらゆる種類の口実になるから」
「人生は変化です。人間が成長せず、進化していなければ、同じところにじっと立っているだけ、それ以外の世界はどんどん変化しているのに。こうした人々の大半はひじょうに未熟です。彼らは”静止した”人生を送り、ただ待っているんです」「誰かが救ってくれるのを。」
現在起こっている犯罪のほとんどが、自分自身の問題を誰か他の人(特に親)や社会のせいにして起こるような気がします。
問題は外にあり、自分自身は悪くない。
自分を見つめるのは、辛いですからねぇ。
色々と考えさせられました。
「オーロラ」を観る ― 2008/07/27

パリ・オペラ座が協力したとかなので、期待をして観たのですが、特に観なくて良かったようです。
唯一、王妃役のキャロル・ブーケの美しさだけが慰めになりました。
ある王国の王女オーロラ姫は踊るのが大好き。
ところが何故か、この国では踊ることが禁じられていました。
というのも、国王と王妃は舞踏会で出会い、王妃は踊り子だったらしいのです。
王妃は王との愛のために踊ることを止めたのでした。
王の側近は、財政が破綻していることを王に言います。
そして、それを避けるためには、オーロラ姫を金持ちの王子と結婚させることであると進言します。
実はこの側近、王国のお金を着服していたのです。
相手の王子に贈るために、画家が招かれ、オーロラ姫の絵を描きます。
やがてオーロラと画家は愛し合うようになります。
オーロラ姫は好きな人以外とは結婚したくないと言います。
王妃はオーロラの味方をしますが、そのために毒殺されてしまいます。
三度の舞踏会の後、側近は自分に少しお金があるから、自分がオーロラ姫と結婚すると言いだします。
牢獄に入れられていた画家は逃げだしますが、捕らえられ殺されてしまいます。
そして、側近は軍隊を使い、国を乗っ取ろうとしますが…。
踊りが好きな王女様役の女の子マルゴ・シャトリエはオペラ座バレエ学校の生徒だそうです。
愛に生きるというには、幼すぎるような気がしました。
画家がスターダンサー、ニコラ・ル・リッシュ(「ル・パルク」に出てました!)だそうですが、残念。
全然格好よくない。なんか貧乏くさい顔をしています(失礼)。
オーロラ姫が好きになるという設定は無理でしょう。
せっかくのスターダンサーなんだから、もっと踊る場面を多くすればよかったのに。
他にもいいダンサーがでていたようですが、その踊りが不気味で、ホント、もったいない映画でした。
唯一、王妃役のキャロル・ブーケの美しさだけが慰めになりました。
ある王国の王女オーロラ姫は踊るのが大好き。
ところが何故か、この国では踊ることが禁じられていました。
というのも、国王と王妃は舞踏会で出会い、王妃は踊り子だったらしいのです。
王妃は王との愛のために踊ることを止めたのでした。
王の側近は、財政が破綻していることを王に言います。
そして、それを避けるためには、オーロラ姫を金持ちの王子と結婚させることであると進言します。
実はこの側近、王国のお金を着服していたのです。
相手の王子に贈るために、画家が招かれ、オーロラ姫の絵を描きます。
やがてオーロラと画家は愛し合うようになります。
オーロラ姫は好きな人以外とは結婚したくないと言います。
王妃はオーロラの味方をしますが、そのために毒殺されてしまいます。
三度の舞踏会の後、側近は自分に少しお金があるから、自分がオーロラ姫と結婚すると言いだします。
牢獄に入れられていた画家は逃げだしますが、捕らえられ殺されてしまいます。
そして、側近は軍隊を使い、国を乗っ取ろうとしますが…。
踊りが好きな王女様役の女の子マルゴ・シャトリエはオペラ座バレエ学校の生徒だそうです。
愛に生きるというには、幼すぎるような気がしました。
画家がスターダンサー、ニコラ・ル・リッシュ(「ル・パルク」に出てました!)だそうですが、残念。
全然格好よくない。なんか貧乏くさい顔をしています(失礼)。
オーロラ姫が好きになるという設定は無理でしょう。
せっかくのスターダンサーなんだから、もっと踊る場面を多くすればよかったのに。
他にもいいダンサーがでていたようですが、その踊りが不気味で、ホント、もったいない映画でした。
「プロヴァンスの贈りもの」を観る ― 2008/07/28

この頃映画がいい時間帯にやっていないので、DVDを観ることになってしまっていますが、たいていの映画はDVDでも良いようです。
この『プロヴァンスの贈りもの』も映画館で観ようと思ったのですが、新宿をうろつくのが面倒でやめていました。
でも、それでよかったようです。
ロマンチックな映画かと思っていたのですが、コメディタッチでした。
ロンドンに住む金融トレーダーのマックスは、上司が休暇を取っている間に、乗っ取りをするという阿漕な男。
今度も違法スレスレのことをやって、利益を上げました。
そんな彼の所に、プロヴァンスに住んでいたヘンリーおじさんが亡くなったとの知らせが来ます。
マックスが彼の遺産を継ぐことになり、その手続きのために、プロヴァンスに行くことになります。
常に携帯電話を持ち歩き、指示を出すマックス。
自動車に乗っているときでさえ、携帯を手放さず、自転車に乗っていた地元のレストランを経営しているファニーを轢きそうになったことにさえ気づかないのです。
でも、後でファニーにプールに落とされ、水攻めにされて、いい気味です。
ヘンリーおじさんが残してくれたのは、プロヴァンスにあるシャトー。
そこで幼い頃、マックスは夏を過ごしていました。
初めは売ってしまおうと思っていたのですが、しばらく過ごすうちに、ヘンリーと過ごした日々を思い出していきます。
しばらくしてヘンリーの娘と名乗る女性が現れます。
彼女が本当の娘だったら、遺産は彼女の物。
焦るマックス。
シャトーで働いているデュフロ夫妻も印象的です。
葡萄栽培に命をかけている夫と、面倒見のいい妻。
夫はシャトーを売らないようにとマックスを説得しようとします。
彼とマックスの戦いも見物です。
幼い頃のマックス役が、なんとフレディ君です。
かわいいですよ。
なんだかんだとあるのですが、結局マックスはプロヴァンスの魅力に囚われてしまいます。
もちろん、女性の力が絶大ですが。
人生に必要なものは一体なんなのでしょうか。人それぞれでしょうが、マックスが選んだのは…。
ハッピーエンドがお好きな人はどうぞ観てください。
そうそう、ラッセル・クロウはトレーダーには見えませんでした。
ただのもさいおやじだ(失礼)。
この『プロヴァンスの贈りもの』も映画館で観ようと思ったのですが、新宿をうろつくのが面倒でやめていました。
でも、それでよかったようです。
ロマンチックな映画かと思っていたのですが、コメディタッチでした。
ロンドンに住む金融トレーダーのマックスは、上司が休暇を取っている間に、乗っ取りをするという阿漕な男。
今度も違法スレスレのことをやって、利益を上げました。
そんな彼の所に、プロヴァンスに住んでいたヘンリーおじさんが亡くなったとの知らせが来ます。
マックスが彼の遺産を継ぐことになり、その手続きのために、プロヴァンスに行くことになります。
常に携帯電話を持ち歩き、指示を出すマックス。
自動車に乗っているときでさえ、携帯を手放さず、自転車に乗っていた地元のレストランを経営しているファニーを轢きそうになったことにさえ気づかないのです。
でも、後でファニーにプールに落とされ、水攻めにされて、いい気味です。
ヘンリーおじさんが残してくれたのは、プロヴァンスにあるシャトー。
そこで幼い頃、マックスは夏を過ごしていました。
初めは売ってしまおうと思っていたのですが、しばらく過ごすうちに、ヘンリーと過ごした日々を思い出していきます。
しばらくしてヘンリーの娘と名乗る女性が現れます。
彼女が本当の娘だったら、遺産は彼女の物。
焦るマックス。
シャトーで働いているデュフロ夫妻も印象的です。
葡萄栽培に命をかけている夫と、面倒見のいい妻。
夫はシャトーを売らないようにとマックスを説得しようとします。
彼とマックスの戦いも見物です。
幼い頃のマックス役が、なんとフレディ君です。
かわいいですよ。
なんだかんだとあるのですが、結局マックスはプロヴァンスの魅力に囚われてしまいます。
もちろん、女性の力が絶大ですが。
人生に必要なものは一体なんなのでしょうか。人それぞれでしょうが、マックスが選んだのは…。
ハッピーエンドがお好きな人はどうぞ観てください。
そうそう、ラッセル・クロウはトレーダーには見えませんでした。
ただのもさいおやじだ(失礼)。
韓国ドラマ 「コーヒープリンス1号店 第一話~第四話』を観る ― 2008/07/29

韓国ドラマの「冬のソナタ」が評判になって、大分経ちますが、別にヨン様ファンではありません。
私はアジア系の顔より、西洋系(っていわないよね)の顔の方が好きですから。
そんな私に、同僚のおばさまが韓国ドラマのDVDを貸してくれました。
「おもしろいから、見てご覧なさいよ」と。
はい、見させていただきました。
ホント、おもしろかったです。
話は単純で、これは誰と誰がくっつき、最終回にどうなるのかが予測できます。
ボーと見ていても大丈夫。
頭を使わなくていいんです。
そう、日本の漫画みたいですね。
主人公のかわいい女の子のユン・ウネがいいです。
あんな純真そうな子が、今の日本にいるのだろうかと思ってしまいました。
ユンちゃん演じるのが、今流行の『花より男子』のつくしちゃんみたいな、貧乏家族の長女コ・ウンチャン。
父親は亡くなっており、母親はブランドの靴に目がなく、いつもムダ使いをするし、妹は大学へ入って欲しいという家族の期待を無視し、歌手になりたいと言い出すし…。
いつもお金がなくて、カツカツの生活をしています。
ウンチャンはテコンドーの教師、ラーメン屋の配達、栗の皮むきなどの内職をして、頑張っています。
一方のチェ・ハンギョルはドンイン食品の御曹司。
NYに住み、自由を楽しんでいましたが、祖母から呼び出され、韓国に戻ってきました。
身を固め、仕事に就くようにと言われるのですが、今の暮らしを手放したくないのです。
ひょんなことから二人は出会います。
そして何故かチェはボーイッシュなウンチャンを男と勘違いしてしまいます。
チェは祖母から押しつけられたお見合いが嫌で、お金が欲しいウンチャンを恋人役で雇うことにします。
そんなチェに祖母は最終通告をします。
つぶれそうな「王子コーヒー」をホン社長と一緒に再建するようにと言うのです。
チェは「王子コーヒー」を「コーヒープリンス1号」とし、若者向けに店を改良することにします。
まず、イケメンしか雇わないことにし、知り合いを呼び、評判のワッフルを作る男を店に引き抜き、仕事が欲しいウンチャンを従業員にします。
何故かたまたま来た、ウンチャンの妹に片思いしているゴリラみたいな男まで雇われることに。
しかし、現実は甘くはない。
初日、タダの時はあんなにお客が来たのに、それ以来閑古鳥が鳴いています。
さて、これからどうするのか。
以上が第4話までの話です。
途中に色々と笑わせられる場面があり、チェの従兄弟と片思いの彼女との話など、お決まりのことが豊富です。
韓国ドラマにはまりそうです。
私はアジア系の顔より、西洋系(っていわないよね)の顔の方が好きですから。
そんな私に、同僚のおばさまが韓国ドラマのDVDを貸してくれました。
「おもしろいから、見てご覧なさいよ」と。
はい、見させていただきました。
ホント、おもしろかったです。
話は単純で、これは誰と誰がくっつき、最終回にどうなるのかが予測できます。
ボーと見ていても大丈夫。
頭を使わなくていいんです。
そう、日本の漫画みたいですね。
主人公のかわいい女の子のユン・ウネがいいです。
あんな純真そうな子が、今の日本にいるのだろうかと思ってしまいました。
ユンちゃん演じるのが、今流行の『花より男子』のつくしちゃんみたいな、貧乏家族の長女コ・ウンチャン。
父親は亡くなっており、母親はブランドの靴に目がなく、いつもムダ使いをするし、妹は大学へ入って欲しいという家族の期待を無視し、歌手になりたいと言い出すし…。
いつもお金がなくて、カツカツの生活をしています。
ウンチャンはテコンドーの教師、ラーメン屋の配達、栗の皮むきなどの内職をして、頑張っています。
一方のチェ・ハンギョルはドンイン食品の御曹司。
NYに住み、自由を楽しんでいましたが、祖母から呼び出され、韓国に戻ってきました。
身を固め、仕事に就くようにと言われるのですが、今の暮らしを手放したくないのです。
ひょんなことから二人は出会います。
そして何故かチェはボーイッシュなウンチャンを男と勘違いしてしまいます。
チェは祖母から押しつけられたお見合いが嫌で、お金が欲しいウンチャンを恋人役で雇うことにします。
そんなチェに祖母は最終通告をします。
つぶれそうな「王子コーヒー」をホン社長と一緒に再建するようにと言うのです。
チェは「王子コーヒー」を「コーヒープリンス1号」とし、若者向けに店を改良することにします。
まず、イケメンしか雇わないことにし、知り合いを呼び、評判のワッフルを作る男を店に引き抜き、仕事が欲しいウンチャンを従業員にします。
何故かたまたま来た、ウンチャンの妹に片思いしているゴリラみたいな男まで雇われることに。
しかし、現実は甘くはない。
初日、タダの時はあんなにお客が来たのに、それ以来閑古鳥が鳴いています。
さて、これからどうするのか。
以上が第4話までの話です。
途中に色々と笑わせられる場面があり、チェの従兄弟と片思いの彼女との話など、お決まりのことが豊富です。
韓国ドラマにはまりそうです。
いじりめぐみ 『デブで悪いか!』 ― 2008/07/30

『デブで悪いか!』と堂々とタイトルにしていますが、副題がすごい。
「爆笑!猛獣妻の国際結婚バトル」です。
作者のいじりめぐみさんは、アメリカ人と結婚し、二人娘のいる自称猛獣妻です。
結婚してから15㎏太ったといいますが、我が身を振り返ると、18㎏で勝ってます。
全然自慢になりませんね。トホホ。
このエッセイを読むと、ご立派としかいいようがありません。
これぞ日本人の鏡。
これぐらいアメリカで自由奔放にやってくれている人がいると思うと、嬉しくなります。
彼女ぐらい文句が言えると、ホント、気分がよくなりますね。
「スーパーサイズ・ミー」でアメリカの給食に驚きましたが、彼女の書いた「お子様ランチUSA」にも出てきます。
彼女曰く、「アメリカで世にも恐ろしい光景に出会いたかったら、「うらめし」よりも「ひるめし」やあ」
いじりさんは「アメリカお子様ランチ肝試しツアー」なんてものを考えているようですが、「スーパーサイズ・ミー」なんて全然目じゃない。
給食のメニューがチキンナゲットとフレンチフライ。
野菜はというと、なんとケチャップだそうです。
子どものお弁当はというと…。
超肥満のモニカの主食は26センチぐらいの大きさのチョコレート・ケーキ。
マットはピーナッツバター&マヨネーズのサンドイッチ(ゲロゲロ)。
お嬢様のエミリーは、「Sポロ一番しょうゆ味」を生のままかじる。
野菜を食べているというライアンは、生のえんどう(!)とチョコレート。
これからは食育の時代だとか言って、学校での教育や給食などに力を入れていますし、日本の家庭での食事が心配されていますが、アメリカに比べりゃ、健全ですぜ。
アメリカ絶賛のエッセイの中では、ある意味、特筆すべきエッセイです。
第一作目の『デカくて悪いか!』も読もうと思います。
「爆笑!猛獣妻の国際結婚バトル」です。
作者のいじりめぐみさんは、アメリカ人と結婚し、二人娘のいる自称猛獣妻です。
結婚してから15㎏太ったといいますが、我が身を振り返ると、18㎏で勝ってます。
全然自慢になりませんね。トホホ。
このエッセイを読むと、ご立派としかいいようがありません。
これぞ日本人の鏡。
これぐらいアメリカで自由奔放にやってくれている人がいると思うと、嬉しくなります。
彼女ぐらい文句が言えると、ホント、気分がよくなりますね。
「スーパーサイズ・ミー」でアメリカの給食に驚きましたが、彼女の書いた「お子様ランチUSA」にも出てきます。
彼女曰く、「アメリカで世にも恐ろしい光景に出会いたかったら、「うらめし」よりも「ひるめし」やあ」
いじりさんは「アメリカお子様ランチ肝試しツアー」なんてものを考えているようですが、「スーパーサイズ・ミー」なんて全然目じゃない。
給食のメニューがチキンナゲットとフレンチフライ。
野菜はというと、なんとケチャップだそうです。
子どものお弁当はというと…。
超肥満のモニカの主食は26センチぐらいの大きさのチョコレート・ケーキ。
マットはピーナッツバター&マヨネーズのサンドイッチ(ゲロゲロ)。
お嬢様のエミリーは、「Sポロ一番しょうゆ味」を生のままかじる。
野菜を食べているというライアンは、生のえんどう(!)とチョコレート。
これからは食育の時代だとか言って、学校での教育や給食などに力を入れていますし、日本の家庭での食事が心配されていますが、アメリカに比べりゃ、健全ですぜ。
アメリカ絶賛のエッセイの中では、ある意味、特筆すべきエッセイです。
第一作目の『デカくて悪いか!』も読もうと思います。
「アメリカン・ビューティー」を観る ― 2008/07/31

小型のDVDプレーヤーを買ったので、どこでもDVDが観られるようになりました。
というわけで、本を読むよりDVD。
やっと前に買っておいた「アメリカン・ビューティー」を観ました。
流石、アカデミー賞を取っただけあります。一筋縄ではいかないのよ。
いろいろと考えられないと、アカデミー賞はもらえないのね。
後味の悪い映画です。
手っ取り早く言ってしまえば、アメリカの中産階級家庭の崩壊を描いている映画です。
レスター・バーナムは、不動産ブローカーをしている妻キャロリンと父親を嫌っている娘ジェーンのいる平凡な中産階級の男です。
特にこれと言った不満はありませんが、といって楽しいわけではなく、妻とはずっとセックスレス。
ある日、嫌がる娘のチアガール姿を見に行き、人生が変わります。
娘の友達の美少女ジェーンに恋してしまったのです。
彼の妄想はもう止められません。
ちょうどその頃、会社をリストラされてしまいますが、恋に狂ったレスターには、もう何も失うものはない。
上司が女を買ったことをばらすと脅し、多額の退職金を手に入れて、なんとハンバーガーショップでバイトを始めます。
どうしちゃったんでしょうね。
妻キャロリンはというと、ライバルの不動産王のバディと浮気をしちゃうし。
そんな頃、隣にフランク・フリッツ大佐家族が引っ越してきます。
フランクは暴君で、妻と息子のリッキーを支配しています。
リッキーはそんな父親に反発を感じつつも、表には出さないようにし、裏で麻薬を売ったり、隣のレスター家族の盗撮をやっているという変わった子です。
娘のジェーンはリッキーを気に入り、彼と恋人同士の関係になります。
一見どこにでもいる、典型的なアメリカ人家族のはずが、ひとつずつ歯車が狂ってきて、最後は悲劇へと向かっていきます。
この映画に出てくる人たちは、偽りの自分を生きていると思い込み、本当の自分を求めて生きようと思い、行き詰まってしまっているように思います。
宙を舞う白い袋を美しいと言ったリッキー。
一体「アメリカン・ビューティー」とは何なんでしょうか。
というわけで、本を読むよりDVD。
やっと前に買っておいた「アメリカン・ビューティー」を観ました。
流石、アカデミー賞を取っただけあります。一筋縄ではいかないのよ。
いろいろと考えられないと、アカデミー賞はもらえないのね。
後味の悪い映画です。
手っ取り早く言ってしまえば、アメリカの中産階級家庭の崩壊を描いている映画です。
レスター・バーナムは、不動産ブローカーをしている妻キャロリンと父親を嫌っている娘ジェーンのいる平凡な中産階級の男です。
特にこれと言った不満はありませんが、といって楽しいわけではなく、妻とはずっとセックスレス。
ある日、嫌がる娘のチアガール姿を見に行き、人生が変わります。
娘の友達の美少女ジェーンに恋してしまったのです。
彼の妄想はもう止められません。
ちょうどその頃、会社をリストラされてしまいますが、恋に狂ったレスターには、もう何も失うものはない。
上司が女を買ったことをばらすと脅し、多額の退職金を手に入れて、なんとハンバーガーショップでバイトを始めます。
どうしちゃったんでしょうね。
妻キャロリンはというと、ライバルの不動産王のバディと浮気をしちゃうし。
そんな頃、隣にフランク・フリッツ大佐家族が引っ越してきます。
フランクは暴君で、妻と息子のリッキーを支配しています。
リッキーはそんな父親に反発を感じつつも、表には出さないようにし、裏で麻薬を売ったり、隣のレスター家族の盗撮をやっているという変わった子です。
娘のジェーンはリッキーを気に入り、彼と恋人同士の関係になります。
一見どこにでもいる、典型的なアメリカ人家族のはずが、ひとつずつ歯車が狂ってきて、最後は悲劇へと向かっていきます。
この映画に出てくる人たちは、偽りの自分を生きていると思い込み、本当の自分を求めて生きようと思い、行き詰まってしまっているように思います。
宙を舞う白い袋を美しいと言ったリッキー。
一体「アメリカン・ビューティー」とは何なんでしょうか。
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