石川 拓治 『奇跡のリンゴ』2010/06/08



NHKの「プロフェッショナル」で木村秋則さんのことを知り、この本を読んでみたいと思っていました。図書館にあったので借りてきました。すぐに読める内容です。だいたい「プロフェッショナル」で紹介されていた通りです。

一見すると、どこか田舎のおじさん(失礼)という感じの人ですが、彼の粘り強さには脱帽です。
リンゴで有名になってから、何故か人生相談をもちかけられることがあるそうです。自殺をしようと思っている若い人に、木村さんはこう言ったそうです。

「バカになればいいんだよと言いました。バカになるって、やってみればわかると思うけど、そんなに簡単なことではないんだよ。だけどさ、死ぬくらいなら、その前に一回はバカになってみたらいい。同じことを考えた先輩として、ひとつだけわかったことがある。ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り合うことができるんだよ、とな」

木村さんは農家の次男として生まれました。長男が家を継ぐので、高校を出てから集団就職で川崎のメーカーに勤めました。しかし、家の都合で1年半で故郷に戻り、中学校の同級生と結婚し、リンゴ作りを始めました。小さい頃から、機械はバラバラにしてみるし、真空管を使ってコンピューターを作ろうとしたりする人だったようです。

ひょんなことから福岡正信が書いた『自然農法』を読み、無農薬でリンゴが作れないかと思い始めます。
もともと凝り性でしたから、のめりこむと大変です。
四ヶ所あったリンゴ畑を、最初は一ヶ所だけだったのですが、その後四ヶ所全部を無農薬にしてしまいます。
知らなかったのですが、私達の食べているリンゴは農薬がなければ実らないものだったのです。
彼のリンゴ畑では、やがて葉が黄色くなり、花が咲かなくなり、大量の虫が発生し、リンゴが実らなくなります。どんなことをしても、リンゴはなりません。
リンゴが取れないのですから、彼の家庭は貧窮します。しかし、家族は彼を支え続けます。

1985年7月31日、死のうと思った木村さんは岩木山に死に場所を求めて登っていきました。彼の目に映る世界は、自分が思っていたよりもずっと美しい場所だったそうです。
ちょうど具合のよい木を見つけたので、ロープをかけようとすると、あらぬ方向へ飛んでいきます。ロープを拾いに行くと、リンゴの木がありました。よくよく見ると、それはドングリの木でした。
何故森の木々は農薬を必要としないのだろう?
麓のリンゴの木とこのドングリの木の違いはなんなんだろう?
木村さんは不思議に思います。そしてわかったのは、「雑草が生え放題で、地面は足が沈むぐらいふかふか」で「土がまったくの別物」だったのです。
「これだ、この土を作ればいい」
自分はリンゴの見える部分、地上のことばかり考えていた。地下のことを考えていなかった。そう木村さんは気づきます。

「虫や病気は結果。農薬などなくても本来の植物は自分の身を守ることができる。そういう自然の強さをリンゴの木は失っていたから、あれほどまでに虫や病気に苦しまされていたのだ」

「目に見える部分ばかり気を取られて、目に見えないものを見る努力をわすれていた」

「リンゴの木はリンゴの木だけで生きているわけではない。周りの自然の中で生かされている生き物なわけだ。人間もそうなんだよ。人間はそのことを忘れてしまって、自分独りで生きていると思っている。そして、いつの間にか、自分が栽培している作物も、そういうもんだと思い込むようになったんだな。農薬を使うことのいちばんの問題は、ほんとうはそこのところにあるんだよ」

岩木山で答えを見つけてから、木村さんは家の近所でアルバイトを始めます。妙なプライドがなくなったからです。3年間キャバレーで働き、その後リンゴ一本にします。
そして、無農薬をやり始めてから9年目に、リンゴの花が咲きました。実ったリンゴは小ぶりなものでしたが、味は美味でした。
規格品から程遠いリンゴなので、なかなか売れません。大阪まで行って売りました。そうすると、買ってくれた人から手紙が来ました。「あんな美味しいリンゴは食べたことがありません。また送って下さい」
彼は奇跡をやり遂げたのです。

彼はこう言います。「現代の農業は自然のバランスを破壊することで成立している」

リンゴが売れるようになっても、彼は変りません。相変わらずの田舎のおじさんです。
彼の作ったリンゴをいつか食べてみたいですね。三年待ちという噂もありますが、本当かしら?