澤田瞳子 『火定』2020/07/05




奈良時代の疫病(天然痘)の蔓延を食い止めようと奮闘した人たちの話です。

民を怪我や病から救うために作られた施薬院は出世とは無縁な場所であるため町医者の網手の献身で支えられていた。
出世を望む下級官僚の蜂田名代は辞める機会をうかがいながら働いていた。

その頃、新羅に行った使者から持ち込まれた天然痘が平城京に広まっていた。
必死に病人を助けようとしていた網手だったが、治療法がないため為す術がなかった。
とうとう悲田院の子供たちも感染してしまい、感染を広めないために僧・隆英は子供たちと共に蔵に籠もることにする。

同じ頃、猪名部諸男は皇族を診るまでの地位に昇り詰めていたが、同僚の陰謀で牢獄に入れられ、恩赦で出ることができたが、行き場がないため獄中で出会った宇須と行動を共にしていた。
宇須は天然痘に効くという禁厭札を売って金を稼いでいたが、だんだんと行動がエスカレートしていき、天然痘の原因となった新羅の民を殺せば病は治まると民衆を扇動するようになる。

天然痘と闘ううちに、名代は人を助けることでこれからの己の生きるべき道を、そして諸男は冤罪の恨みから立ち直ることで医師としての己の使命を見いだしていく。

「世の中に、完璧な人間なぞいない。網手も、そして諸男もそうだ。しかしその胸に忸怩たる思いを抱いていればこそ、彼らは他人の弱さや病の恐ろしさに思いをはせることが出来る。医に携わる者は決して、心強き者である必要はない。むしろ悩み多く、他を恨み、世を嫉む人間であればこそ、彼らはこの苦しみ多き世を自らの医術で切り開かんとするのではないか」

医療に携わる者の原点を的確に表していますね。

宇須に扇動された民衆は施薬院までも襲う。名代は暴徒たちを許せず、そんな名代に網手は言う。

「官は都の惨状にいったい何をしてくれた。君が親であれば、民は子。その親が無策を決め込んだがゆえに、迷うた子は正体の知れむ神なんぞを信じ、暴徒と成り果ててしもうたのではないか」

コロナ禍で先の見えない今、政府が無策のままでいたら、私たち民はどういう道を辿ることになるのでしょうか。
アメリカ、アラバマ州の若者たちが、誰が最初にコロナに感染するかを競うコロナパーティを開いていたということを聞いて暗澹たる思いになりました。
日本の若者も自暴自棄にならないで、未来に対して生きる希望を見いだして欲しいと思いますが、さて…。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://coco.asablo.jp/blog/2020/07/05/9265047/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。