「ラストゲーム 最期の早慶戦」を観る2008/09/15

日本映画ってめったに観ませんが、今回は前売り券をもらったので、仕方なく(?)観に行きました。
有楽町のシネカノンは前回行った時に椅子が悪いと書いたのですが、椅子が変わったのかしら?
相棒に聞くと、「エ?そうだっけ?」、「椅子が悪くてお尻が痛くなったって文句言ってたでしょう」、「知らない。前は何にも覚えていない。なんだかわけわかんなかったもの」
あちゃ~!ダメだこれ。
今回は人にチケットもらったのに、また変なこと言うかも…。
案の定、どうだったと聞いたら、「なんも映画にすることないじゃん。テレビのドラマでやればいいんだよ」とのこと。
聞くんじゃなかった。

1941年12月8日、太平洋戦争始まる。
1943年4月、文部省が東京六大学野球連盟に解散を命じる。リーグ戦中止。
5月20日、早慶戦中止。
9月21日、法文科系学生の徴兵猶予を全面停止発表。
高等教育機関の徴兵年齢に達した者はすべて徴兵されることとなる。
10月16日早稲田大学戸塚球場で”出陣学徒壮行早慶戦”開催。
10月25日から臨時徴兵検査始まる。
12月1日、陸軍入営。
12月10日、海軍入営。

野球は敵国の国技だから、やることはないというおおかたの意見に反し、早稲田大学野球部顧問の飛田穂州は教育の一環としての野球を言い続けます。
1943年9月、生徒達が徴兵されていく現状を見て、何か最後に彼らに思い出として残してやりたい、そう思っていた飛田のところに、慶應大学塾長小泉信三から早慶戦をやろうという申し込みが…。
早稲田大学総長田中穂積は強行に早慶戦開催を反対します。
大学の自治を守るためだったのです。
早稲田大学というとバンカラな自由にものを言える大学だと思っていたのですが、イメージが違いますね。
飛田は野球部員の戸田の兄が戦死し、家にお悔やみにいった時に、総長が反対しようが、強行突破することを決意します。
戸田の家では、父親は兄を国の誉れだと褒め称え、弟の順治が野球をやることを反対していました。
葬式の後に、練習場に戻るなと言う父に対し、母が抑えていた感情を吐き出します。
「死ぬかも知れないのだから、好きなことをさせてあげてください」と。
母の言葉がかたくなだった父の心を開かせ、父は飛田に早慶戦をやってほしいと告げるのでした。
どんな反対に会おうが、自分の信念を曲げなかった飛田に教師の理想の姿を見ます。

早稲田が答えを保留していたために、故郷に帰っていた慶應野球部員は、やっと開催された試合で思うように身体が動かず、大敗をきすることになります。
そんな様子を見て、補欠選手を出してはどうかというキャプテンに対し、飛田は言います。
こういう時にこそ、相手を尊重して、全力で戦えと。
頑固オヤジ、素敵です。

早慶戦に行ったことがないので、今と昔も同じような応援をやっているのかと相棒に聞いたところ、たぶん同じだろうとのこと。
ホントかいな。
同僚の人とこの頃話すのは、戦争を知っている最後の世代が年をとり、平和ボケしている現状を憂い、戦争について若い世代に語りつごうと思ったため、こういう戦争物が続々と作られているんじゃないかということです。
劇団四季の戦争三部作に続くものとして見てよかったと思いました。
出来るだけ多くの若者に見てもらうためには、テレビで敗戦記念日に放送してほしいですね。

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