原田マハ 『リボルバー』2021/07/31



ゴッホの最期は拳銃で自殺を図ったということになっていますが、他にも色々な説がありますね。
例えば前に観た映画「永遠の門 ゴッホの見た未来」では地元の若者たちがゴッホに絡んでいる時にピストルが爆発したという風に描かれていたと思います。

高遠冴はパリ大学で美術史の修士号を取得しており、いずれ十九世紀フランス絵画史をさらに研究し、<後期印象主義における芸術的交流:ファン・ゴッホとゴーギャンを中心に>というテーマで博士論文を書こうと思っています。
現在は小さなオークション会社「キャビネ・ド・キュリオジテ」、通称CDCに勤務しています。
CDCで扱うのは、サザビーズの足下にも及ばない、どこかのクローゼットに眠っていた誰かにとっての「お宝」、ときにがらくたと呼びたくなるシロモノばかりです。

そんなある日、CDCが定期的に開催しているオークション会場の出入り口に一人の女性が佇んでいました。
冴が話しかけると、その女性は見てもらいたいものがあると言い出します。
CDC代表のギローと共に見てみると、それは錆びついた一丁のリボルバーでした。

女性の名はサラと言い、リボルバーはフィンセント・ファン・ゴッホを打ち抜いたものだと言うのです。

ゴッホのリボルバーらしきものは、かつてゴッホが最期を迎えたオーヴェル=シュル=オワーズのラヴー亭の壁に飾ってあり、ファン・ゴッホ美術館の展覧会で展示されたことがあります。
このリボルバーはそのリボルバーなのか…。

冴はサラの持ち込んだリボルバーがゴッホの死に関わりがあると証明するというミッションに挑むことになります。

この本に関するマハさんのコメントが、「私はこの物語で、ゴッホとゴーギャンの神話のヴェールを剥がしてしまった」です。
ちょっとネタバレ。
マハさんの描くゴッホの死の謎は、ゴーギャンと関係していたのです

ゴーギャンについて詳しくは知りませんでした。
本を参考にして簡単に書いておきますね。
彼は1848年パリ生まれ(ゴッホの5歳上)で、父は新聞記者、母はペルー駐在スペイン軍大佐を祖父に持つ人でした。彼が1歳の時に母方の伯父を頼ってペルーに渡り、その途上で父はなくなります。そのため伯父の庇護のもと、六歳までペルーの首都、リマで暮らします。このことが彼に大きな影響を与えたということは明らかですね。
成人してからは船乗り、その後株式仲買人になり、ビジネスマンとして成功しました。
株式仲買人時代の25歳の時に絵を描き始めます。ちょうどこの頃、結婚したようです。
1882年、株の大暴落を機に画家を生業にしようと思いますが、妻は夫に愛想が尽きたのか、コペンハーゲンの実家に帰ってしまいます。
ここからゴーギャンの放浪の人生が始まります。
コペンハーゲン⇒パリ⇒ブルターニュ地方のポン=タヴァン⇒パナマ⇒マルティニーク島(赤痢にかかり生死の境をさまよう)⇒パリ(テオ・ファン・ゴッホに見い出される)
ゴッホにゴーギャンを紹介したのが弟のテオだったのですね。知りませんでした。
この出会いがどんな結末になったのかは有名なのでどなたも知っていますね。

さて、マハさんの描くゴッホの最期は…。

ついでに関心のある方は『リボルバー』インタビューも読んでみて下さい。
マハさんの書いた『たゆたえども沈まず』もゴッホ関係の本ですので、一緒に読むことをお勧めします。