天童荒太 『ジェンダー・クライム』 ― 2024/02/21
「ジェンダー・クライム」とは「性にまつわる犯罪」。

裸で、両手を後ろに回され、両手首にガムテープを巻かれた状態で、道路から一メートル下の草地に、うつ伏せで横たわった中年男性の遺体が見つかる。
八王子南署に捜査本部が設置される。
八王子南署刑事課強行犯係の捜査員、鞍岡は本庁捜査一課の志波倫吏と組むことになるが、志波は初の捜査会議には出ず、立川大学の法医学教室にいた。
彼はレイプの可能性を指摘し、教授の磯永に調べてもらうと、遺体の肛門に擦過傷らしき痕があり、体内から小さなポリ袋が発見された。
その中には「目には目を」と書いた紙が入っていた。
まもなく遺体は佐東正隆、五十四歳のものと判明する。
佐東の息子の進人は準強制性交、つまり集団レイプの加害者だった。
三年前、十九歳だった進人を含めて四人が被害者の飲み物にレイプドラッグを入れ、犯行におよんだ。
四人のうち、余根田と楠元が暴行し、佐東と芳川は未遂だと否定していたという。
佐東は見張り役で、レイプドラッグを入れたと言われている。
全員が実行犯として検察に送られたが、起訴は見送られた。
怨恨のせんで調べることになるが、なぜ三年も経ってからなのか。
なぜ直接犯行に関わった奴らじゃないのか。
疑問は多い。
準強制性交の加害者たちと佐東進人の居所を突きとめ、話を聞き、被害女性と、その周辺の聞き込みをすることになる。
警察小説ではありますが、謝辞を読むと、天童さんがこのお話に込めた思いが明確にわかります。
この本は「ジェンダー」について書かれた、「ジェンダー」について考えるきっかけになる本です。
是非多くの人に読んでもらいたいと思います。
わたしが仕事に就いた頃は「ジェンダー」などという言葉はなく、職場では当たり前のようにお茶くみをやらされていました。
今でも覚えているのが、上司に「○○さんはお茶を入れてくれれば、何もしなくていいよ」とニコニコしながら言われたことです。
初めは冗談かと思いましたが、真面目にそう思っていたのです。
ちなみに仕事は男女差のない専門職でしたけどね。
何十年か経って、駅でばったり会った時に、彼はわたしを見て、実に嬉しそうな顔をしました。
アラ、わたしあの言葉を聞いてから彼につっけんどんな態度を取っていたはずですけど、笑。
本の中に、ある女性が<わたしの主人はわたしだから、夫のことを「主人」とは呼ばないことにした>というエピソードがありますが、わたしは昔に読んだ本の中に同じようなことが書いてあり、なるほどと思ったので、配偶者に「主人」とか「旦那」は使いません。
天童さんはこう書いています。
「そうした対等でない関係を裏に秘めた言葉を、無意識に使う(暗に求められている)文化が、女性や子どもが被害を受ける犯罪やハラスメントを生む要因の一つになっている…と言われても、多くの人は戸惑うばかりだろう。
だが、言葉は、人の暮らしや社会の在り方を、縛ったり、ある方向へ導いたりする力がある。ささやかでも、呼び方一つの影響は小さくない。
そんなことを鬱々と考えている日々のあいだにも、女性が被害に遭う事件が次々と起っていた。しかも、マスコミや一部の政治家・文化人は、加害者ではなく、むしろ被害者を責めるという、信じられないような不条理な事態も生じていた」
ジェンダー・ギャップはわたしの頃よりも少しずつよくなっていると思いたい。
でも、「ジェンダー・ギャップ・レポート2023」で日本は146ヶ国中125位です。
男女平等を阻む社会的、文化的なものがまだ根強く残っているのでしょうね。
わたし自身のジェンダー・バイアスとの戦いも続きますww。
ジェンダーなどと聞くと、拒否反応を持つ人がいるかもしれません。
性暴力は「魂の殺人」と言われており、書かれている被害者の痛ましさに目を覆いたくなるかもしれまん。
それでも、警察小説としてもいい線行っていると思いますので、一読の価値はあります。
わたしは主人公の鞍岡と志波のペアや、ここには紹介しませんでしたが、生活安全課の依田課長と館花未宇巡査のその後を読みたいです。
最後は何とかうまくおさまりましたが、根本的なことは何も解決していませんし、彼らのキャラが好きなんです。
天童さんはミステリ作家ではないので、これが最初で最後になる可能性が強いですけどね。
わたしの今年のベストになりそうな本です。
そうそう、天童さんが影響を受け、この本を書くきっかけになったらしいレベッカ・ソルニットの『説教したがる男たち』も読んでみたいと思いました。
最近のコメント