「僕はラジオ」を観る2011/01/28

この映画はアメリカの実話だそうです。アメリカには色々な面がありますが、これは日本人には真似のできない、アメリカの良い面を描いた映画です。


サウスカロライナ州アンダーソンにあるハナ高校の話です。

アメフトチームのコーチ、ジョーンズは、選手たちが知的障害を持った男を縛り付け、倉庫に閉じ込めているのを見かけます。
その男はいつもショッピングカートを押しながら、校庭の周りをウロウロしていました。
その日、たまたまボールが校庭の外に出てしまい、そのボールを拾った彼がボールをショッピングカートに入れ持ち去ろうとしたため選手たちが怒り、やったことでした。

彼のことが気にかかったジョーンズは、彼にアメフトチームの手伝いをしないかと誘います。

それ以来、彼は練習に現れるようになり、ラジオ好きなことから「ラジオ」と呼ばれるようになります。
ジョーンズはアメフトの練習の他に授業にまでラジオを出席させ、文字を教えます。始めは話せなかったラジオもだんだんとうちとけ、話ができるようになり、いつしかラジオはハナ高校のアイドルとなっていきます。

しかし、ラジオの存在をおもしろく思わない親たちもいました。
校長は彼らとジョーンズの板挟みになり悩んでいました。
理事会はラジオのことを調べ始めます。


映画を見ながら不思議に思ったことがあります。
何故ジョーンズはラジオのことをあれほどまでに考えてあげたのか。
普通なら周りと戦うより彼のことを切り捨てるのに。
彼はラジオの母親には「正しいことをやっただけだ」と答えます。
今まで話をすることもなかった一人娘にジョーンズは本心を明かしますが、それでも私は納得がいきませんでした。
でも、彼が「私たちは彼から色々なことを学んだ」と言った時にわかりました。
彼は「教師」だったのです。

ラジオを見ながら思い出したことがあります。
何年か前に知り合いになった男の子のことです。軽い知的障害があり、母親は彼の将来のことをとても心配していました。
私が錦糸町の喫茶店でお茶をしていた時、誰かが窓を叩きました。
見てみると、彼でした。
高校を卒業した彼をどこでも雇ってくれないと母親が話していたのを覚えていましたので、今何をしているのかと聞くと、ある衣料品メーカーの倉庫でバイトをしていると話してくれました。
彼に居場所が出来き、少しホッとしました。

どんな人にでも居場所のある、そんな社会にいつ日本はなるのでしょうか。
私たち一人一人が考えていかなければならないことです。
そんなことを考えさせられた映画です。

映画の最後に、本物の50歳になったラジオとコーチが出てきます。
今もラジオはハナ高校の名誉コーチとして学校と関わっているそうです。