「一本の鉛筆」で平和を思う2008/08/10

昨夜は久しぶりに元同僚と会いました。
来る人も毎回同じなので、そろそろ恒例になりそうです。

元同僚の中に、緑内障仲間がいます。
彼は千葉県に住んでいるのですが、都心の病院に2ヶ月おきに通院しています。
視野検査をすると、少し良くなっていると医師に言われたそうで、とってもうれしそうでした。
主治医はよく説明をしてくれる方で、定年後、他の病院に行こうかとも思ったのですが、やめたと言っています。
実は彼の通院している病院は、前に私もかかっていました。土曜日に仕事があるので、予約が取りづらくなったのと、緑内障専門医が信用できそうもないので、他の病院にかわったのです。
結局、病院より、どの医師に診てもらうかが大事ですよね。

彼(Eさん)は生まれが長崎です。
そう、昨日8月9日は長崎に原爆が落とされた日です。
親子三人でテレビを観ながら黙祷をしたそうです。
Eさんの父親は、当時、長崎の軍事工場に勤めていて被曝しました。
晩年、盲目になりました。
母親は49歳で、脳出血で亡くなったそうですが、血圧が尋常じゃない上がり下がりだったそうです。
原爆症だったんじゃないかとのことですが、原爆症とは認定されていなかったそうです。

Eさんの奥様も長崎出身ですが、結婚して上京し、病院で原爆症のことを言った時、医師が「原爆症・・・?」と嫌そうな反応をしたそうです。
原爆に対する世の中の認識はそんなもんだよと、Eさんは悲しそうに話してくれました。

美空ひばりが「一本の鉛筆」という歌を歌っていたそうです。
その歌は原爆のことを歌った歌で、ひばりが歌っていることに、Eさんは驚いたそうです。
CDを買い、この頃毎日聞いているそうです。
歌を調べてみると、広島テレビ放送が広島で平和をテーマにした音楽祭をしようと計画し、参加する歌手にテーマに沿った新曲を発表して欲しいと依頼し、作られた歌だそうです。
1974年、第一回平和音楽祭ではじめて歌われました。
美空ひばりのことはそれほど知りませんが、年代的に戦争経験者であると思っていました。
彼女は横浜大空襲を経験し、父親が徴兵されていたようです。
テレビでは20代の若者が戦争は昔のことだから、関係ないと言っていました。
風化する戦争をどう次の世代に伝えていくのか、本当に難しいですね。
私自身も、祖母や親に戦時中の話を聞こうとしたのですが、北海道だったので、空襲はなく、食料も十分にあり、そんなに大変な思いをしていないと言われました。
唯一、ロシア兵士が家に来たことがあり、その姿が恐ろしかったそうです。
Eさんはどのような思いで、「一本の鉛筆」を聞いているのでしょうか。


    一本の鉛筆

 【作詞】松山善三 【作曲】佐藤 勝


 あなたに 聞いてもらいたい
 あなたに 読んでもらいたい
 あなたに 歌ってもらいたい
 あなたに 信じてもらいたい
 一本の鉛筆があれば
 私は あなたへの愛を書く
 一本の鉛筆があれば
 戦争はいやだと 私は書く


 あなたに 愛をおくりたい
 あなたに 夢をおくりたい
 あなたに 春をおくりたい
 あなたに 世界をおくりたい
 一枚のザラ紙があれば
 私は子どもが欲しいと書く
 一枚のザラ紙があれば
 あなたを返してと 私は書く


 一本の鉛筆があれば
 八月六日の朝と書く
 一本の鉛筆があれば
 人間のいのちと 私は書く