『モネとジヴェルニーの画家たち』@Bunkamuraザ・ミュージアム2010/12/28

モネは1883年から死去する1926年までパリから北西に80キロに位置するジヴェルニーに住んでいました。
彼が住み始めてから次々と世界各国から300人以上の画家たちが集まったようです。その中でもアメリカ人が7割もいたということで、何故アメリカ人がこんなに多くジヴェルニーに来たのか不思議ですね。
この展覧会はジヴェルニーにいたアメリカの画家の絵が大部分を占めています。ボストンのテラ・アメリカ美術基金から借りてきたようですが、どういう美術館(かな?)なのでしょうか。

ジヴェルニーのモネの家は今は美術館になっています。フランスに行ったら是非とも訪れたい場所です。

第1章:周辺の風景
モネ以外の人たちが描いたジヴェルニーです。小さな村なのでしょうが、水辺があり、花が咲き乱れ、美しい風景です。

       セオドア・ウェンデル「花咲く野原、ジヴェルニー」 1889年

≪ジヴェルニーのモネ≫
モネの描いたジヴェルニーです。
「ジヴェルニーの冬」という絵が二枚あります。一枚は、適当に描いた、いいえ、短時間でささっと書いたと言った方がいい絵です。あまり雪が降らないの土地なのでしょうか。土の茶色が目立ちます。
もう一枚は緻密に描いた絵です(↓)


        クロード・モネ 「ジヴェルニーの冬」 1885年

白は描きにくい色なのでしょうね。
他には有名な「積みわら(日没)」の絵もあります。

第2章:村の暮らし
モネの積みわらの絵よりもジョン・レスリー・ブレックの「積みわらの習作:秋の日」がとても印象的でした。一日の日の当たり具合により変化する積みわらの表情が、12枚も並ぶとよくわかるからです。



モネの描いた「積みわら」が全部一か所に展示されたら圧巻でしょうね。見てみたいものです。
モネは積みわらや風景などを描きましたが、そういえば村人を描いていませんね。彼の興味はあくまでも人よりも移ろいゆく光なのでしょうね。

それでもジヴェルニーには生活があります。モネの義理の娘とアメリカの画家が結婚しています。

第3章:家族と友人
フレデリック・ウィリアム・マクモニーズの描く肖像画が結構気に入りました。
でもこれらの肖像画がテラ・アメリカ美術基金にあるということは、子孫が売ったか寄付したかしたのでしょう。肖像画なんて子孫にとっては持っていてもしょうがない代物なんでしょうね。

第4章:ジヴェルニー・グループ
アメリカの作家で短編集『ワインズバーグ・オハイオ』を書いたシャーウッド・アンダーソンのお兄さん、カール・アンダーソンの絵がありました。芸術的センスのある兄弟だったのですね。

庭の景色が美しいですが、やっぱり一番好きな庭の絵はモネの義理の娘(だと思う)が描いた、モネの庭の絵です。
たぶんアメリカの画家と結婚し、未亡人になった人がモネの死後に描いたものだと思います(ちがったら教えてください)。

  ブランシュ・オシュデ=モネ 「ジヴェルニーの庭、バラの小道」 1926年

主のいなくなった庭ですが、自然はいつまでもそこにあり、人を癒してくれます。

≪<睡蓮>の連作≫
「蓮と睡蓮の違いは?」と、友人と話しながら見ていました。
蓮はレンコンが取れて、食用になり、葉が池一面に繁殖しているような感じです。
睡蓮は?
睡蓮の葉は水面に葉が展開するけれど、蓮は葉が水面より上に立つんですね。花も睡蓮は水面近くに咲き、蓮は水面よりだいぶ上に咲いています。
そういえば不忍池は蓮ですものね(↓)。


睡蓮はこういう感じです。

             クロード・モネ 「睡蓮、水の光景」 1907年

よくよく見ると全然違います。睡蓮の方が趣がありますね。

モネは晩年白内障を患ったようで、1916年から1919年にかけて描かれた「睡蓮、柳の反射」(↓)をみると、色が暗く、線もあやふやな感じがしましたが、どうなんでしょう。


地中美術館にある「睡蓮」を思い出しました。あの4点の絵は幸せですね。素敵な場所に飾られていますから。
下の写真は直島の地中美術館前の「モネの庭」です。なんとなくジヴェルニーの庭に似ていませんか。


ジヴェルニー、なんとしても行きたい場所になりました。