米子に行く②(米子城跡)2025/03/25

2022年に放送されたNHKの「日本最強の城スペシャル」で米子城は「絶景日本最強の城」に選ばれたそうです。
とにかく景色がよさそうなので、足立美術館に行った後の夕暮れの頃に行ってみました。(参照:米子城公式ホームページ
(*以下の文で間違いがあったら教えていただけると嬉しいです)

まず、国道9号線から城跡を見てみます。


三の丸の整備をしているようです。
ここでは昭和25年に鳥取県産業観光博覧会が開催され、その後昭和28年に泰山野球場が作られたようですが、今はありません。


駐車場とトイレ、そしてガイダンス用の建物が建っています。


本丸が見えます。
左側に行き、1つ目の角を曲がり歩いていくと城の入り口があります。


立派な石垣です。


左側に幟が見えたので行ってみると、大正14年に市民の浄財によって創始された四国八十八か所霊場があり、200体余の石仏が城山を八の字に取り巻く園路沿いに設置されているそうです。
廻ると一時間半ぐらいかかるそうですが、霊験あらかただそう(たぶん)。
さて、暗くなる前に本丸まで行きましょう。


入ってすぐに枡形石垣があります。


虎口。


二の丸からみた枡形石垣。


石段を上って行きます。すると右側に二の丸跡に移築された旧小原家長屋門があります。


小原家は、鳥取藩の米子預かりであった主席家老、荒尾氏の家臣で100~150石取りの中級武士だったそうです。(米子市HPより)


もともとの門は身分不相応に大きいということで、三分の一の大きさになったそうです。
写真の右手にテニスコートがありますが、このテニスコートはなくなるそうです。


二の丸跡から見た三の丸。
長方形に形づくられたものは発掘された米蔵跡で、長さ30メートル、幅6メートルの規模だそうです。
十棟以上あったようですが、二棟だけ復元するのでしょうか?


二の丸跡にこんな石(?)が並んで二つありました。
これは鳥取県産業観光博覧会の時に作られた滑り台の跡らしいです。

ここから一気に本丸まで上って行きます。
久しぶりの山登りで息が上がってしまいました。
15~20分程度で、それほど長く上っていないのにねぇ。
上る途中に県の準絶滅危惧種に指定されているカザグルマという植物が咲く場所があるようです。


番所跡でお休みしました。
遠くに高島屋の看板が見えます。この頃、デパートは経営難でなくなる傾向ですが、人口が14万人ちょっとなのに、米子市には高島屋と天満屋の2つもデパートがあるそうです。
鳥取県にはあと鳥取市に丸由百貨店があるだけだそうです。

本丸の中心の天守郭には、戦国末期に吉川広家が築城した三重四階の小天守と、慶長七年頃(1602年)、駿府から入城した初代米子藩主中村忠一が作った四重五階の大天守があったそうです。


見晴らしがいいですね。
少し日が落ちて来たようです。


五月初旬から下旬、七月下旬から八月上旬に八尋鼻と萱島の間に夕日が落ちるので、綺麗な太陽の道、オレンジロードが見られるそうです。(米子市HPより
何やらここは米子のデートスポットなのかしら?
カップルが多いです。


大山(だいせん)が見えるはずですが・・・。
ダイヤモンド大山っていうのもあるようです。
2月20日ごろと10月22日ごろの気象条件がいい時に、大山から朝日が昇るのが見られるそうです。


下を見ると、急な斜面になっています。(写真ではわかりませんがねww)
敵が登ってこれないようになっているそうです。


もう一つの天守郭があった方へいくと、土台が残されています。


撮るつもりはないのですが、カップルがどこにでもいます。


ここも・・・。
部屋の大きさとかが何となく推測できますね。


ここにも・・・。
三の丸を見下ろしてみました。


飯山(采女丸)。


内膳丸。


見えている建物は鳥取大学医学部附属病院です。
弓ヶ浜半島を見てみると、山がありません。


実はここは日本最大の砂州なんだそうです。
じゃあ砂はどこから来たのかというと、中国山地や大山から崩れて来た砂もありますが、たたら製鉄の砂鉄を採るため山を崩して鉄穴流しをした際の排砂が半島の砂の供給源にもなったそうです。

そろそろ日が沈むかと思って見ると、残念。太陽が雲の中に隠れてしまいました。


町の夜景。


そろそろ帰らないと、足元が危ないです。
絶景でした。また来たいです。
今度は朝日を見たいです。

そうそう、米子城にまつわる、悲しいお話があります。
戦国時代末期の天正19年(1591)頃、毛利一族の吉川広家が築城を始めたのですが、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦い後に、国替えの命を受け、広家は岩国に飛ばされ、米子の領主となった中村一忠が米子城を慶長七年(1602)に完成させました。
その後、城主は代わり続け、寛永9年(1632)からは鳥取藩主主席家老の荒尾成利が米子城預かりとなり、明治2年(1869)に藩庁に引き渡されるまで代々荒尾氏が管理していたそうです。
明治3年(1872)に、米子城が位置する山は士族らに無償で払い下げられましたが、明治6年(1875)年に米子城は取り壊されてしまったそうです。
取り壊された木材は当時の30円で古物商に売られ、風呂の薪として売り出されたなんていう説があるそうです。
なんとも残念なことですね。
(参考:「山陰を代表する米子城!完成したのは戦国時代後・・・名城に相応しくない残念な最後とは」、「米子城を極める!(現地ウォーク)資料」)

ホテルに帰って、この日、唯一のまともな食事をしました。


ご馳走様でした。
歩いた歩数は13418歩で、約9.36キロ歩いたようです。

コメント

_ ろき ― 2025/03/26 19時16分32秒

たくさん歩きましたねー!その甲斐がある絶景でした。
城跡というのは想像力を刺激します。
今は平和にデートスポット?になっていて、それも良いですね。

_ coco ― 2025/03/26 20時11分02秒

城跡はいいですね。松本城、福江城、そして米子城と行き、お城のファンになってしまいました。これからお城がある場所を探して行こうかと思います。
夕暮れの城跡はロマンチックでした。

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