楡周平 『介護退職』2014/09/08



三國電産北米事業部長の唐木栄太郎は今度のプロジェクトを成功させれば、取締役の椅子も確定というような立場にいました。
息子は名門私立中学校を目指して頑張っており、秋田で独り暮らしをしている母親のことは気にかけてはいても、今の暮らしが続いていくと思っていました。
ところが、大雪の日、雪かきをしていた母親が脚を骨折をしてしまいます。
年末だったので、なんとか正月の間は栄太郎が母親の面倒を見ますが、病院から退院した後、秋田でリハビリに通わせることはできません。 
妻の助けを借り、東京の家で介護することになりますが、しばらくして認知症も発症してしまい、息子の受験と介護疲れのせいか、今度は妻がくも膜下出血で倒れてしまいます。
どうしようもなくなって、上司に今の状態を報告すると、「仕事には引き継ぐ人間はいる」と閑職に追いやられてしまいます。
栄太郎は仕事に生きがいを感じられなくなり、退職を決意します。

「誰もが、介護という問題は、頭では分かっていても、今をどう生きるかで精一杯で、それがどれほど過酷なものか、そして時として家族の運命をも狂わせかねない問題であるかを、その当事者となった時に初めて悟るのだ」

「(認知症は)ゴールの見えないマラソンだ。耐久レースだ。終焉の時がやってくるまで、決して手を緩めることはできない。リタイアすることは許されないのだ」

子どもは親の老いを認めたくないものです。
なるべく見ないようにして、先送りにしてきますが、そのつけが後で追いうちをかけてきます。

私の周りもここ2、3年で、親の介護の話が出始めました。
この本で、栄太郎は母親を自分の家に引き取ることにしますが、妻の負担を理解していないようです。
知り合いは夫が今施設にいる認知症の父親と半身不随の母親を引き取って自宅で面倒をみたいと言い出したと言っていましたが、男の人は人の世話をしたことがないから、介護がどれほど大変なことか想像できないのでしょうね。
栄太郎は今まで親をほっておいたという負い目から、自宅に引き取るという選択をしたのでしょうね。
心の底では、「俺は仕事するから、妻よ、お前が介護してくれ」と思っているのかもね。

現代における介護問題を扱っているのでしょうが、男から見た(ゆうがな?)介護物語という感じですね。
結局、母親のことは妻と金で雇った弟の妻で見ることになり、自分は転職でいいポジションを与えられ、海外暮らしで、めでたしめでたし。
実際はもっともっとどうしようもない状態の人がいっぱいいると思いますよ。
そういう人が読んだら・・・。

いつか来る親の介護問題に想いを馳せるために読むのにはいいでしょうが、全く実際の介護には役立ちませんので。
残念な本でした。