夏川草介 『神様のカルテ 2』 ― 2010/11/28
医師が作家との二足の草鞋を履くことが多くなったようですね。
この夏川さんも実際に信州で医師をやっていらっしゃる方です。
この夏川さんも実際に信州で医師をやっていらっしゃる方です。

”誰がいつ来ても診てもらえる病院を”をモットーとして、「24時間365日対応」している信州の本庄病院に勤務している内科医栗原一止。
その彼を暖かく見守っている写真家の細君の榛名。
この2人を中心に本庄病院の医師と看護師、患者などの暖かなエピソードがちりばめられています。
一止は大学時代、夏目漱石に傾倒し、下手ながら将棋を打っていました。
その頃、彼と将棋部を構成していた、たった一人の部員であり友人が、進藤辰也でした。
この辰也が東京の病院に、一止の思い人だった人と結婚し勤めていたはずなのに、血液内科医として本庄病院に勤務することになります。
辰也は一止曰く、「医学部の良心」。
ところが、今やその面影はなく、勤務時間が過ぎると、すぐに帰り、休日や平日の夜に電話が通じないというのです。
辰也のことを心配しつつも、彼が話さないのだからと、見守る一止。
それでも我慢がならなくなると、コーヒーを頭から浴びせるという変わった方です。
本庄病院の片腕と言っていい副部長の内藤と病院以外で出会うことが多くなり、榛名ともども仲良くなっていきます。
今回は辰也と内藤のことをメインに色々な人の人生がほんわかした筆で書かれています。
これらのエピソードは本を読んでもらいたいのですが、次のことは筆者が一番いいたいことではないでしょうか。
もう命が尽きかけている患者に対して一止たち医療従事者がやったことに対し、事務長は抗議します。
事務長に向かって一止は言います。
「医師の話ではない。人間の話をしているのだ!」
「はるかに大切なことは、かかる逼迫した環境でさえ、なお為しえることがあるという確信を捨てないことではありませんか」
「その確信があればこそ、我々は24時間365日を働き続けることができるのです」
頭の下がる思いです。
医師も一人の人間なのです。私たちは彼らの過酷な勤務を知ってはいても医師なのだから当たり前と切り捨ててはいないでしょうか。
今の医療が彼らの個人的な献身の上になりたっているとしたら、それは改めるべきこと。
色々な人たちが声を上げているのに改まらないのは何故でしょうか?
どんな仕事をしていようが、忘れないでいようと思った言葉があります。
「良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬である」
ケネディのスピーチライターのセオドア・ソレンソンの言葉だそうです。
自己満足と言われようが、自分の良心を信じてやっていきたいものですね。
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