北森 鴻 『虚栄の肖像』 ― 2011/06/03

あまり期待しないで読んでみました。
ところが流石北森鴻。亡くなったのが残念だと、また思いました。
彼の得意な美術シリーズです。
今度は花師で絵画修復師でもある佐月恭壱が主人公で、狐さんが出てきます。
彼の父親が芸大で現代絵画史と修復学を教えてもいた修復師だったのですが、誰かに陥れられて失意のうちに亡くなったようです。母親がお花の先生だったようで、両親の仕事を継いでいるのです。
もし北森さんが生きていれば、父親の物語も語られたでしょうね。
『虚栄の肖像』は佐月シリーズの二作目でした。
花師とは、ようするにお店(佐月の場合はスナックとかバーとか)に花を生けに行く人のようです。こういう言い方ってあったんですねぇ。
言ってみれば、佐月の表の顔は花師であって、絵画修復はあまり表に出していない商売なのです。特別な人を通して頼まれ、佐月が修復したいと思い、由来に納得がいけば修復を引き受けるのです。
絵画修復の方法など興味深く読めます。絵画修復をしていると「あっ、また人間であることを忘れている」と思うと書いてあります。
修復の仕事はそれだけ集中力が必要で、根をつめないとダメな仕事なのです。
私には出来そうもありません。
中国人で飲み屋をやっている明花と彼女の父親朱建民、善ジイ、危ない折本とミヤギなど脇役もそろっています。
短編三作が入っていますが、後半二作は続き物で、せつない内容になっています。
本の中に藤田嗣治について出てきます。
何故彼が日本を出てフランスに行ったのか知りませんでした。
昭和12年に日中戦争が始まり、当時日本に帰国していた藤田は陸軍報道部からの要請により戦地に赴き、戦意高揚を目的とした戦争画を制作しました。(戦争画の多くは国立近代美術館に収蔵されているそうですが、展覧会に出品される機会はほとんでないそうです。)
藤田はこれらの絵のため、敗戦後戦犯の疑いをかけられました。軍部に協力したという責任を押し付けられたのです。
日本の戦後に失望した藤田はフランスに移住し、フランス国籍を取り、二度と日本にはかえって来なかったそうです。
藤田が日本より先にフランス画壇で認められていたことをやっかむ雰囲気が日本画壇にあったのでしょうね。
彼の描いた戦争画を探してみました。「アッツ島玉砕」という絵です。
何故彼が日本を出てフランスに行ったのか知りませんでした。
昭和12年に日中戦争が始まり、当時日本に帰国していた藤田は陸軍報道部からの要請により戦地に赴き、戦意高揚を目的とした戦争画を制作しました。(戦争画の多くは国立近代美術館に収蔵されているそうですが、展覧会に出品される機会はほとんでないそうです。)
藤田はこれらの絵のため、敗戦後戦犯の疑いをかけられました。軍部に協力したという責任を押し付けられたのです。
日本の戦後に失望した藤田はフランスに移住し、フランス国籍を取り、二度と日本にはかえって来なかったそうです。
藤田が日本より先にフランス画壇で認められていたことをやっかむ雰囲気が日本画壇にあったのでしょうね。
彼の描いた戦争画を探してみました。「アッツ島玉砕」という絵です。

この絵で戦意を高揚する人っているかしら?
私は彼の「猫」の絵が好きです。

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