重松清 『卒業』2006/03/01

重松清の『卒業』を読みました。4つの短編が入っています。そのなかから二編を紹介します。

一編目は「まゆみのマーチ」。故郷で母親が危篤になり、病院に駆けつける主人公。彼が病院に着くと、妹のまゆみが先に病院に来ていた。彼はまゆみに、息子は受験で合格して入った学校に合わず、引きこもりになっているため、お葬式には来れないだろうと話す。話しているうちに、昔のことを思い出す。
 まゆみは小さい頃、何をするのも歌いながらしていた。小学校に入っても、歌うことを止められず、何回か注意されても授業中に歌うことを止められない。そのため周りの生徒の親から文句が来て、困った担任はまゆみに歌わなくさせるために、マスクをして授業を受けるようにという。しばらくして、まゆみは学校で当てられても声を出せなくなり、そのうちに学校へ行けなくなる。母はそんなまゆみに歌うなとは言わなかった。学校に行けなくなったときは、まゆみが行けるところまで一緒に歩いていた。そんな母を、主人公はまゆみには甘い人だと思っていた。しかし、昔を思い出すうちに主人公は息子に対しある決心をする。

「あおけば尊し」は映画にもなっています。67歳になる父親が、癌で余命少ない時に、自宅で最後を迎えるために戻ってくる。彼は高校の教師をしていた。底辺校や教育困難校を回り、子供は人間として未完成なまま社会に出すことはできないという教育論を実践してきた人だ。彼は言う。「こどもは未完成な人間だ。未完成な人間に『いい先生』と呼ばれたってしかたないだろう」「教師は目先のことを考える仕事ではない」「目先の評価ーたとえば生徒の人気などにとらわれていると教師としてほんとうにたいせつなものを見失ってしまう。生徒には嫌われるぐらいがちょうどいい」 子は、小学校の教師をしている。教え子が見舞いに来ないことから、息子は父を厳しくて、冷たくて、なによりも寂しい教師だったと思う。そんなとき、田上という子が転校してくる。彼は死に対して、異常な興味があり、近くにある火葬場にランドセルをしょったまま行ったりしている。彼の影響で他の生徒まで死に対して変な興味を持ってしまう。そんな生徒たちに困った彼は、自分の死に行く父の姿を生徒達に見せようと決心する。そこから父親の最後の授業が始まる。

四編とも、人の死と死にまつわる子の気持ちを扱っています。重いけれど、のがれられないテーマでもあります。

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