柴田よしき 『激流』2011/06/01



中学校の京都への修学旅行で、バスに一緒に乗ったはずの友達が降りる時にいなくなっていました。班の誰も彼女が降りるのを見ていませんでした。

あれから20年。
それぞれが大人になり、それぞれの生活を営んでいました。
ところが「私を憶えていますか? 冬葉」というメールが届きます。

読んでいるうちに登場人物たちがわからなくなってしまうといけないので、紹介しましょう。(そんなことないかな?)

おタカこと御堂原貴子は左右対称の顔をしたものすごい美人です。普通の会社員と結婚していますが、娘を私立小学校に入れたりと、身分不相応のことをやっています。そのお金は売りをやって稼いでいました。夫がリストラされてしまい、いけないことをしてしまいます。

秋芳美弥は男にだらしのないベストセラー作家兼バンドのヴォーカリスト。一時人気がありましたが、コカイン所持で逮捕されてから落ち目。今は借金まみれで、自分の書いた本の主役を演じ、テーマソングも歌い、再び浮上しようと計画中。

サンクマことしっかり者の三隅圭子はS出版社で編集をしています。夫が売れっ子作家と浮気をし、離婚話をしていますが、暗礁に乗り上げています。作家の柏木と付き合っています。

ハギコーこと東萩耕司は本庁の警察官になっています。

サバこと鯖島豊は東大出。大企業のD電機に勤めていますが、今は窓際。離婚し、慰謝料のためキツキツの生活を送っています。前に付き合った若い女に付きまとわれています。

ナガチこと長門悠樹は医者の息子でしたが、高校中退し、現在は行方不明。

行方不明になった小野寺冬葉はいつも一人でフルートを吹いていた中肉中背、成績も中の大人しく、あまりしゃべらない女の子でした。

この7人が同じ班になり、京都で一緒に行動したのです。

一通のメールから行方不明のナガチ以外のみんなが集まることとなります。
それぞれが冬葉に対して色々な思いがありました。
メールの後に次々と事件が持ち上がります。
一体冬葉は生きているのでしょうか?
生きているとしたら何のためにこんなことをするのでしょうか?

900ページにもおよぶ力作(?)です。
が、最後がいただけませんでした。期待したのに。

ボーとして暮らしていた中学校時代に、このような事件があると、ずいぶん違う人生になったかもしれませんね。私って中学校時代のこと、あまり憶えていないんです。
中学校に思い入れのある人が読むと面白いかもしれませんね。

北森 鴻 『虚栄の肖像』2011/06/03



あまり期待しないで読んでみました。
ところが流石北森鴻。亡くなったのが残念だと、また思いました。

彼の得意な美術シリーズです。
今度は花師で絵画修復師でもある佐月恭壱が主人公で、狐さんが出てきます。
彼の父親が芸大で現代絵画史と修復学を教えてもいた修復師だったのですが、誰かに陥れられて失意のうちに亡くなったようです。母親がお花の先生だったようで、両親の仕事を継いでいるのです。
もし北森さんが生きていれば、父親の物語も語られたでしょうね。

『虚栄の肖像』は佐月シリーズの二作目でした。

花師とは、ようするにお店(佐月の場合はスナックとかバーとか)に花を生けに行く人のようです。こういう言い方ってあったんですねぇ。
言ってみれば、佐月の表の顔は花師であって、絵画修復はあまり表に出していない商売なのです。特別な人を通して頼まれ、佐月が修復したいと思い、由来に納得がいけば修復を引き受けるのです。
絵画修復の方法など興味深く読めます。絵画修復をしていると「あっ、また人間であることを忘れている」と思うと書いてあります。
修復の仕事はそれだけ集中力が必要で、根をつめないとダメな仕事なのです。
私には出来そうもありません。

中国人で飲み屋をやっている明花と彼女の父親朱建民、善ジイ、危ない折本とミヤギなど脇役もそろっています。

短編三作が入っていますが、後半二作は続き物で、せつない内容になっています。

本の中に藤田嗣治について出てきます。
何故彼が日本を出てフランスに行ったのか知りませんでした。
昭和12年に日中戦争が始まり、当時日本に帰国していた藤田は陸軍報道部からの要請により戦地に赴き、戦意高揚を目的とした戦争画を制作しました。(戦争画の多くは国立近代美術館に収蔵されているそうですが、展覧会に出品される機会はほとんでないそうです。)
藤田はこれらの絵のため、敗戦後戦犯の疑いをかけられました。軍部に協力したという責任を押し付けられたのです。
日本の戦後に失望した藤田はフランスに移住し、フランス国籍を取り、二度と日本にはかえって来なかったそうです。
藤田が日本より先にフランス画壇で認められていたことをやっかむ雰囲気が日本画壇にあったのでしょうね。

彼の描いた戦争画を探してみました。「アッツ島玉砕」という絵です。



この絵で戦意を高揚する人っているかしら?
私は彼の「猫」の絵が好きです。


辛酸なめ子 『開運するならなんだってします!」2011/06/04



たまに小説以外の軽いものを読みたくなります。
今回は辛酸なめ子さんのエッセイです。彼女の名前、変わってるな~、ぐらいにしか思っていなかったのですが、実は過去にいいことがない人生だったので、つけたらしいです。そういわれて、顔を見ると、幸薄そうな感じもします(失礼しました)。
実際にこの本に書いてあるようなことをしているとしたら、だから幸薄いのよ、と思ったりしました(ゴメンネ)。
人間そんなに幸せな人っていないと思います。普通に生活していれば、嫌なことがいっぱいあります。当たり前でしょう。学校ではみんな同じような行動を強制され、素直に返事しなければ怒られるし、家庭では言うまでもないし・・・。
他人がいればエゴのぶつかり合い。それをどうやってかわしていき、気にしないようにするかが問題なのだと、この頃つくづく思います。

ようするにどんな時にも幸せを感じる能力(?)があれば、傍から見てどんなに不幸に見えても、その人は幸せなのです。

彼女のように開運するためにと、色々なことをしていったら、最後はどうなるのでしょうか?
果てしなくつきつめていき、お金はなくなり、幸せはどんどん遠くに行ってしまう気もします。

彼女のしたこと。
ピラミッドパワー、オーラヒーリング、手相、ダウジング、癒しフェア、開運料理、赤パン、坊主バー、伊勢神宮、七福神などなど。詳しく知りたい方は本を読んでみてください。

伊勢神宮参りは私もしていますので、何もいいませんが、他のことでなめ子さん、結構お金使ってます。
ちょっと気になったのが、「クオンタム・カウンセリング」。「生体微弱エネルギー測定修正」というそうで、NASAの科学者が開発したそう。
アレ、なんか聞いたことあるような。
そう、ホメオパシーに行っていた時、NASAの人が開発したという機械を使いました。もしかして同じものかしら?私は機械がなんと言うか、毎回楽しみにしていました。
「クオンタム」は手の電気的な情報を測るようで、ホメオパシーの時は頭に測定器をつけたので、違うものかしら?
でも、同じ人が開発したように思います。調べてみますわ。
(調べてみると、どうも同じもののようです。いい商売してますね)

まあ、私のやる開運はお花を見て喜び、美味しいものを食べて楽しみ、いい本を読んで感動し、旅をして「たそがれ」ることですわ。

夏にどこに行こうかしら?

北村 薫 『飲めば都』2011/06/06



ある出版社の文芸編集者、小酒井都さんのお話です。
彼女は飲むと大変。と言っても飲んでもつぶれず、吐いたり寝たりの醜態はさらしません。しかし、「普段より、過激な行動をする」のです。が、本人は全く何をしたのか覚えていないのです。
例えば、ワインを持ったまま大笑いをし、編集長の白シャツにぶっかけてしまい、編集長は帰ってから奥さんに何故こんなところにワインのシミがあるのか疑われたり、トートバッグを忘れたと思って居酒屋に戻ったのになく、タクシーで戻るとトートバッグはタクシーを降りて座った石のところにあったり・・・。

一番笑ったのは、気になる人と会うので、刺繍入りの勝負下着を着ていったのに、ついつい飲んじゃって、家までその人を連れてきたのに記憶がなく・・・。起きてから、ふと自分の体を見てみると、なんと○○ツがない。一体○○ツはどこに?
記憶をたどってみると、その人に何か渡したような。まさか○○ツをあげた!
次の日、真っ青になって連絡し、会って渡したものを返してもらうと、お城の写真集でした。
さて、○○ツはどこに?

都さんと出版社の同僚たちもおもしろいです。
飲むと所かまわず寝てしまう早苗さん。白いジーンズをはいて出かけて、帰って来て階段の下で寝ていると、後に帰って来た旦那のケン君が「足が血だらけだよお」と騒ぎます。次の日見てみると、白いジーンズには染みひとつない。一体何があったのか・・・?
その早苗さん、おもしろいことを言います。

「恋愛はうっかり、結婚は何となく、これが秘訣ですね」

私は飲めない(顔がすぐに赤くなります。アセトアルデヒドを分解する能力が弱い)ので、残念ながら(?)都さんや早苗さんのようなことは一度もありません。
ワインもビールもグラス一杯でいい気分。体調がよい時に時間をかければもう少し飲めます。
飲めないというと、「人生の楽しみをしらない」と言った人がいます。まあ、いいじゃないですか。飲めなくても楽しみ知ってますから。
一度でいいから飲めるようになって、酔っぱらって人にからんで、記憶にないと言ってみたいとも思いますが。吐いたり、二日酔いになるのは嫌ですね。

そうそう、気になったのが、「象鼻酒」。調べてみると本当にそんな飲み方があるんです。
昨年7月に奈良の法華寺で飲めたそうです。
「象鼻酒」とは古代中国から来ていて、ハスの葉に酒を注いで茎をストロー代わりに飲む「象鼻(ぞうび)盃」で飲むお酒のことをいいます。

この本、呑み助の話ばかりではなりませんので、飲めない人も安心して手に取ってください。極上のユーモア小説です。

乃南アサ 『涙』2011/06/08



乃南さんは担当編集者と一緒に宮古島にヴァカンスで訪れた時、昭和41年に第二宮古島台風(コラ台風)が宮古島に大きな被害をもたらしましたのを知りました。この台風を東京の旅行者が体験したらどうなるか、描いて追体験したかったのだそうです。
作家の頭の中はどうなっているのかと考えてしまいます。
台風のことから、こんな話ができるなんて、すごいです。

昭和39年、東京オリンピックの年。
萄子は幸せでした。
社長の娘で何不自由なく育ちました。短大を卒業してから一年間、何もしていなかったのですが、その後、父親のコネで会社に入り、OLの仕事も経験しました。
そして、結婚することになって、寿退職をしました。
相手は近所の強盗事件の聞き込みにやってきたことから知り合いになった刑事の奥田勝です。始めは親は反対していましたが、萄子は親を説得し、刑事の妻になる道を選んだのです。

オリンピックが明日開かれるという日、奥田は萄子に電話をしてきます。そして言うのです。「もう、会えない」と。

奥田の先輩刑事韮山の娘、のぶ子が殺され、そこに奥田がいたようだということがわかります。奥田は失踪していました。

奥田はのぶ子を殺して逃げたのでしょうか?
何故萄子に会って本当のことを言ってくれないのでしょうか?

ある日、萄子がテレビを見ていると、川崎のドヤ街中継に奥田らしい人の姿が映ります。萄子は弟と一緒に川崎へ奥田を探しに行きます。
兄の友人の淳が奥田を熱海で見たと教えてくれます。
萄子は熱海へ旅立ちます。
それから焼津、田川、宮古島へと奥田を探す萄子でした。


最後の宮古島の台風の場面が美しくも悲しいものでした。

戦後の日本の姿が所々に描かれています。昭和39年から41年のことは記憶にありませんが、たぶん日本が近代国家に変わる頃。古いものと新しいものが混在していた時代でしょう。
女一人の旅がまだ一般的ではなく、沖縄に行くのにパスポートが必要でした。
いくら萄子がお嬢様でも沖縄まで行って何泊もできるなんて、ちょっと不自然かもしれませんね。それでも、長さを感じさせない本です。

私が好きな言葉を書いておきましょう。

「それでも生きていれば、また何かが始まります」
「生きてさえいれば、人間何度でも、また新しい風に吹かれることが出来る。そしていつか、すべては遠くへ流れていくだろう。それを今は、眺めてみたいと思っている。思いもよらなかった風景の中に身を置きながら、よくぞここまで来たものだと、生きていて良かったと思いたい」

自分が高校生の時、今のような生活を夢見ていたでしょうか?たぶん、全く違う生活を想像していたのだと思います。
どういう風景がいいのか、わかりませんが、息を引き取る時に満足できたらいいなぁと思います。

北森 鴻 『深淵のガランス』2011/06/10



文庫本で読んだのですが、単行本の表紙の方が好きなので載せておきます。

花師と絵画修復師、二つの顔を持つ男、佐月恭壱シリーズ一作目です。二作目の『虚栄の肖像』の方を先に読んでしまいました。
『虚栄の肖像』で、佐月は足の靭帯を悪くしていたのですが、そのわけがわかりました。修復師って危ない職業には思えなかったのですが、お金がからむと色々とあります。荒事も出てきちゃうんです。

二作目と同様に短編が3つ。
①長谷川画伯の絵の下に絵が描いてあり、何故下の絵を封印したのかを探る話
②洞窟内壁画修復をしている時に持ち込まれた分割絵にまつわる話
③最後に若き佐月が現れます
①と②には狐さんが出てきます。
佐月の手足のように働く男、前畑こと善ジイが狐さんのことを色々と言っています。
「あのお方の仕事には、面倒がつきまとう」
「余計に注意しなきゃ。あのお方はさ」
こう言いつつ、佐月が用意してくれという物をよろこんで用意しちゃうのが善ジイです。

洞窟内壁画修復なんていうのも佐月はやるんですね。普通の絵画とは違う技法が必要なような気がしたのですが、基本を知っていれば同じなんですね。
使っている絵の具を解析して、同じものを採取しなければならないのですが、昔の洞窟絵ですから探すのも命がけ。シンナバー原石なんて、そんなもの知らないわ。どうも朱色に使われるようです。熱すると亜硫酸ガスが出るので、扱うのも危険です。

読んでいてわかったのは、絵の売買の世界も骨董と同じなんです。お金のため私利私欲が絡まり、ドロドロとした人間関係と騙し騙されの世界が繰り広げられます。
恐ろしい。

「絵画の修復という作業には、文化財の保護という美名とは別に、どこに暗い陰が潜んでいるかわからない一面がある。悲劇と喜劇の境目がよく見えない仕事ともいえる。贋作と知らずに修復を施し、それがマーケットに真作として流通したがために、贋作師の汚名をかぶせられ、消えていった修復師の悲劇。稚拙な修復師によってオリジナリティーが失われ、複製にされてしまった名画の喜劇。そこに第三者の思惑が入り込むと、事態はますます複雑になる。思惑が邪であれば、なおさらのことだ。累が修復師にまで及ぶことも少なくはない。絵画本体のみならず、その周辺にまで目配りを必要とするところに、この仕事の難しさがある」

花師としての佐月について北森はこう書いています。

「佐月恭壱の花あしらいには一点の澱みもない。華道ともフラワーアレンジメントとも違う。独自の美意識によって花は器と一体化してゆく」

私が好きなアレンジは、あるバーのママさんが「使い古された笊(ざる)」を花器に見立てたのに、佐月が早咲きの河津桜一輪だけを生けたものです。
シンプルだけどイキです。
利休のワビサビにも通じるような気がします。

何度も言います。佐月シリーズの続きがないのは悲しいです。


追記:スペイン北東部カタルーニャ自治州が文化や人文科学の分野で活躍した人に贈る第23回カタルーニャ国際賞が村上春樹に授与されました。
村上氏は授賞式でスピーチをし、その原稿がありました。
私は彼が3月11日以降何も発言していなかったのを不思議に思っていましたが、やっと口を開いてくれました。

工藤美代子 『もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら』2011/06/11

今日はこの前見つけた紫陽花がどのくらい咲いたか見に行きました。




紫陽花も満開になっています。薔薇もいいですが、梅雨の季節は紫陽花がいいですね。
実はツツジは嫌いです。母校の高校の前にツツジが咲いていて、とっても臭かったのです。何であんなに臭かったのかしら?



とっても不思議な題名です。怖いもの見たさで買ってみました。

実は工藤さんはお化けをよく見る人なのです。彼女のすごいところは、全くお化けを見ても動じないところです。何故かというと、お化けを見てもお化けだと気が付かないのですから。後でひょっとしてあれは・・・と気づくのです。お化けもそんな人だから安心して出られるのでしょうね。
「私はおよそ世の中のあらゆることに関して、偏見は少ないほうだと自分で思っている」そうで、お化けにも偏見を持っていないのですね。
お化けぐらいならいいのですが、工藤さん、人が死ぬのもわかるらしいです。
あなたは何歳で死にますというのではなく、会って、この人長くないなとわかるのです。この能力いいんだか悪いんだか。

残念ながら、いいえ幸運にも私は何も見えない人です。
潜在意識を見る人に「何か見る目をしている」と言われたのですが、全くダメ。
見えたらおもしろいかもと思いますが、見えないから言えることなのでしょうね。

お化けのことと思いながら読んでいくと、工藤さんの家族のことが鮮明になってきます。彼女の家族、お化けよりもおもしろそう。
ひょっとして工藤さんが書きたかったことは家族のことかしら。ぜひノンフィクション作家の観点から家族を書いてほしいと思いました。

日明 恩 『鎮火報』2011/06/12

名前をどう読むのかと考えてしまいました。「たちもり めぐみ」と読むようです。当て字でしょうか?

消防士の活躍するものというと、映画で古くは『タワーリングインフェルノ』や『バックドラフト』、『ワールド・トレード・センター』、日本のでは映画は知りませんが、漫画で『め組の大吾』などがおもしろかった覚えがあります。映画のように英雄を描くのではなくて、『め組の大吾』のようなものの方が、なじみがあっていいですね。


『鎮火報』は消防士になって二年目の新人、大山雄大が主人公です。
彼の父は「職務に忠実」で「それは立派な消防士」でした。しかし、雄大が小学校の時に殉職しています。
死んだ父親の跡を継いだと言いたいところですが、彼が消防士になったのは、父親が救助した子どもで、後に消防士になった仁藤への当てつけみたいなもんです。「お前は消防士になれない」という売り言葉に買い言葉で試験を受け、見事合格したのです。
雄大は父親のことを「つまらない男にふさわしいつまらない死に方をした」と言います。自分は消防士になったけれど、さっさと事務職になって9時から5時までの勤務をし、一生安泰な生活をしようと決心しています。
しかし、そんなにうまくは行かないのが世の常。
不法滞在の外国人が暮らす木造アパートから出火。駆けつけた雄大が見たのは、外国人に暴力を振るう警官と「良い人」の東京入国管理官。
火を消そうと天井に放水すると何故か出火が起こります。
この火災で雄大は自分が救出した人が初めて死ぬという経験をします。

雄大の年上の友だちの守が、同じような火災が他に三件もあるのを発見します。
守は『あの人』が死んだら自分も死ぬと言っている変な人です。引きこもりのくせに、大きな家に住む金持ちで、信じられないぐらいの情報収集能力を持っているのです。

数日後にまた不法滞在の外国人が暮らすアパートが火事になります。

楽して給料もらいたいと言っていた雄大ですが、いつしか父親と同じような行動を取っています。

周りの暖かい目に囲まれ(本人がそれを自覚していないのですが)、一人前の消防士へと成長していく雄大の姿に読み応えがあります。

この本もお仕事シリーズのひとつに入れてもいいでしょう。
知らなかったことを沢山知ることができました。
例えば、消防署もちゃんと水道料を払っているとか、朝晩の食事を作るための買い出しを勤務中にしてはいけないとか、不法滞在のこととか色々と。

ミステリーとしては初めの方で犯人が予測できてしまいましたが、本としてはおもしろいです。二作目も読みますわ。

ちなみに『鎮火報』とは無事に鎮火した後にカンカンカンカーンと鳴らす鐘のことです。昔は鐘を打っていましたが、今はボタン操作のサイレンだそうです。「消防士が無事に火を消した証。都民を守った消防士達の勝ち名乗り」なのです。
出動の時のサイレンは記憶にありますが、鎮火報は・・・?

昔、幡ヶ谷に住んでいたことがあります。幡ヶ谷には消防大学校があり、毎日暗くなってからも黙々と走っている人がいて、消防士は体を鍛えるのが仕事の一部なんだなぁという思いを強く持ちました。例え出番がなくとも、日々、有事の時に備えているという、そういう姿勢に感謝です。

山口 路子 『ココ・シャネルという生き方』2011/06/14



すぐ読める、簡単な本を読んでみました。
シャネルは有名な人なので、誰でも知っているでしょう。特にシャネル・スーツは一度は着てみたいものです。でも、フランスのシャネルまで行って作るのも面倒です。なんて言ってますが、本当のところ、お値段が高すぎて買えませんわ。

シャネルは孤児院で育ち、17歳の時に叔母と一緒にムーランの洋装店で働き始めます。その後歌手として採用され、スターの後ろで歌っていました。この時の持ち歌のひとつが『トロカデロでココを見たのは誰?』でした。この歌から「ココ」と呼ばれるようになったようです。

20歳の時にバルサンという愛人を持ちます。やがて歌手を辞め、バルサンに経済的援助をしてもらいますが、そういう生活に退屈し、当時の女性たちの生活が男の機嫌で左右されることに疑問を持ちます。女性の生き方を表しているのが、当時のファッションでした。
シャネルは女たちが着たりかぶっていたりした洋服や帽子を自分なりに変えていきます。まず、乗馬ズボンを作り、バルサンの服を借りて着たり、小さな帽子を作ったり・・・。
やがてシャネルの作った小さな帽子がバルサンの女友達の間で注目されます。
それでシャネルは帽子店をパリに開くことにしたのです。

帽子店が繁盛していた26歳の頃、アーサー・カペルと出会います。
カペルの出資のおかげでホテル・リッツの裏側に「シャネル・モード」という帽子店を開くこととなります。

1914年、31歳の時に第一次世界大戦が始まります。
シャネルは「シンプルで着心地が良く、無駄がない」を信条にジャージー素材に着目し商品化します。
1616年、シャネルの作ったジャージー素材のドレスがアメリカの『ハーバース・バザー』に掲載され、上流階級の女性がシャネルの店に殺到しました。

仕事では成功していたのですが、シャネルの心は満たされていませんでした。
カペルが他の女性と結婚したのです。カペルとの結婚を望んでいたのですが、身分を考えると、それは不可能でした。しかし、「新しい時代の男、カペル」なら、もしかして結婚してくれるかもしれないと思っていたのです。

それからのシャネルは色々な人と愛人関係を結びますが、結婚は一度もしません。

1920年からシャネルは色々なものをファッションに取り入れていきました。
裏地に毛皮を使ったコート、イミテーション・ジュエリー、香水「No.5」、「リトルブラックドレス」、ツィードのスーツ、リップスチック、チェーンのショルダーバック・・・。

黒は喪服の色だったをシャネルがモードな色にしたのですね。知りませんでした。

「「シンプル」と「貧しさ」を取り違えることほど馬鹿なことはない。
上質の布地で仕立てられ贅沢な裏地をつけた服が、貧しいはずはない」

この意見に賛成です。でも、私にはシャネルは似合いませんわ。

「二十歳の顔は自然がくれたもの。三十歳の顔は、あなたの生活によって刻まれる。五十歳の顔には、あなた自身の価値があらわれる」(シャネル 54歳)


本に載っていた五十歳代のシャネル。素敵です。やっぱり痩せている方がドレスは似合いますね。痩せないとダメか・・・。

1939年、56歳の時、第二次世界大戦が勃発してから、シャネルは香水とアクセサリー部門を除いて店を閉めます。
それから15年後の1953年、70歳でシャネルはモード界にカムバックします。
何故彼女はカムバックしようと思ったのでしょうか。
戦後流行ったディオールの「ニュールック」はシャネルの葬り去ったはずの上流階級の女のための服でした。
シャネルは発表したコレクションに対し、フランスのマスコミは酷評しました。
しかし、アメリカは彼女を受け入れました。シャネルのサクセスストーリーはアメリカンドリームそのものだったのです。

例え愛に恵まれなくとも、仕事に恵まれればいいじゃないと思います。彼女の成功は普通の人が得られないものですから。
それでもシャネルが幸せだったかというと、幸せではなかったのではないかと思います。幼いころ頃から貧しく、愛に恵まれなかったことが彼女を仕事に向かわせたような気がします。

「かけがいのない人間であるためには、人と違っていなければならない」

これが彼女の生涯を貫いている信条です。こういう思いがあったからこそ、彼女を他の人とは違うオンリー・ワンにしているのです。

今でもシャネル社はありますが、一体誰が彼女の跡を継いだのでしょうね。彼女には身内がいなかったはずです。

87歳でシャネルがリッツ・ホテルの部屋で亡くなった時、クローゼットにはスーツが二枚、白地とベージュ地にそれぞれ紺の縁取りをしてあるシャネル・スーツだけしかかかっていなかったそうです。
私のクローゼットを見ると、なんでこんなに着られない服があるんだろうというぐらいに沢山の服が入っています。自分を知っている人は少ない服で十分なんでしょうね。

この本の中に書いてあったイタリアの格言、気に入りました。

「遅くなってもやったほうがいい」

シャネルは70歳でカムバックをしたのですから、私なんてまだまだですね。
頑張りますわ。

パーソナルゲノム2011/06/15



たまたまテレビを見ていると、「究極の個人情報」のパーソナルゲノム解析の話をしていました。
今、アメリカでは数万円を払ってつばを研究所の送ると、1時間20分程度の時間で人のDNA解析ができるそうです。
標準的なDNA配列と比べ違っている、スリップがあるところを調べていくと、罹りやすい病気のリスクがわかるそうです。
アメリカ人男性は心筋梗塞に罹りやすいことがわかり、今後の生活習慣を変えようとしていました。
日本人男性は100歳ぐらいまで働らこうと思っていたのですが、アルツハイマーに罹る確率が50%だったので、70歳ぐらいまでをめどに働くことを考え始めたそうです。

自分の罹りそうな病気を知るというのはどうなんでしょうね。
知らなくてもいいことを知ってしまい、人によっては、後の人生を罹るかもしれない病気のために、心配して過ごすようになりそうです。
何も知らなければ、楽しく暮らせたかもしれません。
楽しく暮らせれば、ストレスが少なく、病気にならなかったかもしれません。
なんでも前向きに考えられる人なら、知ってもいいかもしれませんね。

私は、たぶん、知っても変わらないでしょう。
しばらくは気をつけますが、継続するということが私にはできないので、特に違う生活をしないでしょうね。
もしかすると、私が太ることもわかったかしら?
あ、アルツハイマーのリスクは知りたくないです。
癌に罹るより、アルツハイマーになる方が嫌なんです。
でもなっちゃったら、わかんないか。

パーソナルゲノムを知っているとどの薬が効くかもわかるそうです。
病気になってからパーソナルゲノムを調べてもらっても、遅くはないかもしれませんね。

近い将来、結婚前にパーソナルゲノムを調べるなんてことをしそうですね。
そんなことになったら、差別とか始まりそうで、怖いです。
何事も曖昧な方がいいこともあるのが世の中だと思うんですが。