「ミルク」を観る2011/07/09



お杉だかピーコだかが「いいわぁ」と言っていた「ミルク」を見てみました。
主人公のハーヴェイ・ミルクはゲイの活動家でゲイ・ムーブメントのために闘い、アメリカ史上初めて同性愛者(と公言していて)で公職に就いた人です。
(ネタバレあり)

1970年、40歳の誕生日の日に、ウォール街で働いていたハーヴェイ・ミルクは20歳年下のスコットと出会います。(映画ではハービィと発音しているのに、何で日本語になるとハーヴェイなのかしら?)
1972年に二人はサンフランシスコに行き、カストロ通りで「カストロ・カメラ」という店を開きます。
カストロ通りはゲイたちが集まる場所で、やがて「カストロ・カメラ」は若者や活動家のたまり場になります。

トラック運転手組合からクアーズビールをボイコットするように頼まれ、ハーヴェイは仲間たちにバーでクアーズを飲まないようにと働きかけます。そのおかげでクアーズはおれ、お礼としてトラック協会はゲイの運転手を雇ってくれました。

その頃、ゲイ・バーでは警察の手入れが入り、ゲイは目の敵にされていました。ハーヴェイたちは常にホイッスルを持ち歩き、危険を感じたら吹き、ホイッスルの音が聞こえたら、助けに駆けつけるようにしていました。

ハーヴェイはゲイも黒人コミュニティと同じように、代弁者が必要だと感じていました。彼は市の市政委員に立候補することにします。
ゲイの大物に会いに行きますが、時期尚早だと協力を断られます。
結果は落選。
ミルクは身なりから生き方まですべて変えます。が、2回目も落選。
1976年にはカリフォルニア下院議員に立候補しますが、またもや落選。
1977年、4度目のチャレンジで彼は市政委員に就くことができました。

1977年テート郡で同性愛者への差別を禁じる条例の廃止を求める投票が行われ、条例が廃止になりました。ゲイ嫌いの美人歌手アニタ・ブライアントが反ゲイキャンペーンを大々的に行っていたのです。(この人、カトリックらしいです。この不寛容さが恐ろしい・・・。)
このキャンペーンはゲイの教師追放にまで及ぼうとしていました。

ハーヴェイはゲイの公民権獲得のために闘うことを決心します。
彼の考えたことは、一人一人がカミングアウトするということです。身内にゲイがいる人は反対票を入れるはずだからと。

ハーヴェイは身の危険を感じていいました。自分が暗殺された時に聞いて欲しいとテープに遺言を吹き込んでいたのです。
彼は恐れていたように、1978年11月27日、同僚議員のダン・ホワイトによって、市長と共に市庁舎内で射殺されます。

ダンはハーヴェイに嫉妬していたのでしょうか?
同じ新人議員なのに、ハーヴェイは活躍し、自分は何もやれない。ハーヴェイが協力しないからだ。
もしくはゲイ嫌いか、自分もゲイなのにカミングアウトできないとか。
映画でははっきりとはわかりませんでした。ダンの中に屈折した思いがあったのだけは明らかです。
裁判では弁護側はとんでもないことを言っています。ジャンクフードを食べ過ぎて、精神状態が正常ではなかったとかなんとか。それで禁固7年。実際は5年服役して仮釈放になりました。
判決後、暴動が起こったそうです。
ちなみにダンはその後自殺をしています。

ハーヴェイがゲイの権利のために闘ったということはわかりました。
でも、つきあった男性のうち一人(スコット)以外が自殺というのは何なんでしょうね。彼には依存症の恋人を持つ傾向があり、彼のためにどうにかしてあげなくてはと思う何かがあったのでしょうね。1970年代のアメリカでゲイであるということは、はかりしれない苦悩があり、人格形成に何らかの影響を与えているはずですから。
スコットがハーヴェイの元を出ていかなかったら、と思います。

最期に彼がテープに吹き込んだスピーチの中から希望について語った部分を載せておきます。

「希望がなければ
 ”私たち”はあきらめてしまう
 もちろん希望だけでは
 生きられない
 でも希望がなければ 人生は生きる価値などない
 だからあなたやあなたたちが
 希望を与えなくては」

ニューヨークにはハーヴェイ・ミルク・ハイスクールという15歳から21歳までのレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーのための公立高校があります。
2008年カリフォルニア州は彼の誕生日の5月22日を「ハーヴィー・ミルク・デー」としました。

まだまだ「こころの差別」は無くなっていないというのが現実のようです。