アレグザンダー・マコール・スミス 『友だち、恋人、チョコレート』2010/02/11

古都エジンバラに住む、<応用倫理学レビュー>誌、編集者のイザベルのシリーズ第二弾です。
まあ、普通のミステリーとは違い、どっちかというと日常の些細なことに哲学的思考が入る内容で、一作目はあまりおもしろいとは思わなかったのですが、二作目はイザベルの哲学的思考にも慣れたのか、楽しく読めました。


姪のキャットが友達の結婚式に出席するので、彼女の店を手伝っていたイザベルは、元心理学者の男性に出会います。
彼は心臓移移植を受けていました。
不思議なことに移植を受けた後から、ある男の顔のイメージが現れるようになります。
その話を聞いたイザベルは、持ち前の好奇心から、心臓の持ち主を探し始めます。

イザベルのいい相談相手でもある、片思いの相手、ジェイミーとの関係も微妙になります。
私はアイルランドでは年上の女性と年下の男性が付き合ったって、問題ないんだと思っていましたが、そうじゃないんですね。
アイルランドにも年上女性と付き合うことに偏見があるんですね。

意外と家政婦のグレースがこの本のアクセントになったりしています。
頭でっかちの学者なんかより、ずっと労働者の方がまっとうな考え方をするのです。

バレンタイン・デーも近いので、チョコレートに関する哲学的思考を挙げておきましょう。

「考えれば考えるほど、チョコレートに関する哲学的思考範囲は広がるばかり。まず、アクラシア、すなわち意志薄弱が第一の思考対象として浮かび上がる。チョコレートはよくないと知っているとすれば(ある意味でチョコレートは実際わたしたちにとってよくないのだ。たとえば体重が増えるし)、なぜ人はそれを食べすぎるのか?意志薄弱のせいではないかと疑っていいのだろう。でも、それでもチョコレートを食べるのなら、そうするのがもっとも関心のあることだからということになる。わたしたちの意志は、好きとわかっていることをするようにそそのかす。ということはわたしたちの意志は薄弱ではないということになる。それどころかけっこう強いことになる。そしてわたしたちに本当にしたいこと(つまりチョコレートを食べること)をするようにしむけるのだ。チョコレートって単純じゃない。」

こんなことゴチャゴチャ考えずに、おいしいんだから食べりゃあいいじゃん。
そう私なんか思っちゃいますが、哲学的思考って面倒なんですね。
イザベルにかかっちゃうと、食べ物にも倫理問題があり、論文まで書けちゃうんです。

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