狂言の会 「附子」、「濯ぎ川」、「博奕十王」を観る ― 2008/04/26

今週末も能楽堂に行きました。また寝そうになりましたが、狂言だったので、かろうじて起きていました、笑。
狂言の会
「附子」 シテ(太郎冠者) 善竹十郎 アド(主) 大蔵彌太郎
アド(次郎冠者) 大蔵吉次郎
「濯ぎ川」 シテ(男) 茂山千之丞 アド(妻) 茂山千五郎
アド(姑) 茂山あきら
「博奕十王」 シテ(博奕打) 石田幸雄 アド(閻魔大王) 野村萬斎
「附子」は学校の教科書に出てくるので、狂言というとこれという感じですよね。
観るのは3回目ですが、鑑賞教室で観たので、セリフなどがちょっと違っていたようです。
簡略化されていたのかもしれません。
主人が外出するので、猛毒の附子を見張っているように言われた太郎冠者と次郎冠者は、附子がどんなものかと興味津々。
覗いてみると美味しそうなので、食べてみると、それは砂糖でした。
ついつい砂糖を全部食べてしまい、これでは主人に怒られると思い、考えたのが掛け軸と茶碗を割るということ。
さて、主人が帰ると…。
話の内容を知ってはいても、くすりと笑える狂言です。
今回はベテラン三人で演じていました。
私的には太郎冠者が年寄りだと、え~と思ってしまうのですが、だんだんと見慣れてきました。
でも、今回は言葉がもぐもぐした感じで、セリフがあまり聞き取りやすくなかったです。
「濯ぎ川」はフランスの古典小咄「ル・キュヴィエ(洗濯桶)」を下敷きにした新作狂言です。
婿に入り、妻と姑からこき使われている男の話です。
その日は洗濯をやらされ、川辺に行って洗濯をしていたのですが、そこに妻や姑がやって来ては、仕事をいろいろといいつけます。
あまりにも仕事が多いので、困った男は紙に書いてくれと頼み、紙にかかれた仕事だけをやればいいという約束をとりつけます。
洗濯をしているうちに、小袖が川に流れ、それを取ろうとした妻が誤って転落してしまいます。
男は紙に書いていないからと、流されていく妻を助けようとしません。
姑は今までのことを詫び、助けてくれと頼みます。
さて、男はどうするのでしょうか?
なんともすごい狂言ですね。
妻の口やかましさと姑の意地の悪さがよくわかる演出でした。
狂言は普通の歩きと違うのですが、この狂言では老人独特の歩き方を強調していました。
新作だからOKなんでしょう。
最後の「博奕十王」もちょっと趣の変わった狂言です。
またまた野村萬斎が出ています。
彼はこういうものが好きなのかもしれませんね。
閻魔大王役だったので、顔が見えず、それが良かったかも(失礼)。
閻魔大王と鬼達がぞろぞろと登場。鬼計5名(鬼は名でいいの?)。登場人物がいつもの倍です。
それぞれ面を被っておりますが、歩き方もコミカルで、全然怖くありません。
近頃地獄に来る罪人が少なくなって、鬼達は困っていました。
閻魔大王は鬼どもを引き連れ、六道の辻に出向き、死者が来るのを待ち受けます。
みずからが死者を地獄へ責め落とそうというのです。
そこにきたのが博打打ち。さっそく鬼どもが責めたて、閻魔のところまで連れて行きます。
博打打ちは、博奕は悪いことではない、みんながする遊びだと言い張ります。
閻魔はなんと博奕に興味を持ってしまい、博奕をやってみせてくれと頼みます。
そこで博打打ちは、閻魔を相手に博奕を始めます。サイコロの目をあてるというものです。
このサイコロ、何故か1の目がありません。
それなのに、閻魔は1の目ばかり張り続けます。馬鹿ですねぇ。
鬼が他の目に張るようにと言っても言うことを聞きません。
結局博打打ちに身ぐるみを剥がされてしまい、獲ったものを返してもらう代わりに、極楽へ案内することになってしまいます。
なんとも馬鹿な、そこがかわいい閻魔大王です。
狂言と言ってもいろいろとあるのだということがわかる公演でした。
狂言の会
「附子」 シテ(太郎冠者) 善竹十郎 アド(主) 大蔵彌太郎
アド(次郎冠者) 大蔵吉次郎
「濯ぎ川」 シテ(男) 茂山千之丞 アド(妻) 茂山千五郎
アド(姑) 茂山あきら
「博奕十王」 シテ(博奕打) 石田幸雄 アド(閻魔大王) 野村萬斎
「附子」は学校の教科書に出てくるので、狂言というとこれという感じですよね。
観るのは3回目ですが、鑑賞教室で観たので、セリフなどがちょっと違っていたようです。
簡略化されていたのかもしれません。
主人が外出するので、猛毒の附子を見張っているように言われた太郎冠者と次郎冠者は、附子がどんなものかと興味津々。
覗いてみると美味しそうなので、食べてみると、それは砂糖でした。
ついつい砂糖を全部食べてしまい、これでは主人に怒られると思い、考えたのが掛け軸と茶碗を割るということ。
さて、主人が帰ると…。
話の内容を知ってはいても、くすりと笑える狂言です。
今回はベテラン三人で演じていました。
私的には太郎冠者が年寄りだと、え~と思ってしまうのですが、だんだんと見慣れてきました。
でも、今回は言葉がもぐもぐした感じで、セリフがあまり聞き取りやすくなかったです。
「濯ぎ川」はフランスの古典小咄「ル・キュヴィエ(洗濯桶)」を下敷きにした新作狂言です。
婿に入り、妻と姑からこき使われている男の話です。
その日は洗濯をやらされ、川辺に行って洗濯をしていたのですが、そこに妻や姑がやって来ては、仕事をいろいろといいつけます。
あまりにも仕事が多いので、困った男は紙に書いてくれと頼み、紙にかかれた仕事だけをやればいいという約束をとりつけます。
洗濯をしているうちに、小袖が川に流れ、それを取ろうとした妻が誤って転落してしまいます。
男は紙に書いていないからと、流されていく妻を助けようとしません。
姑は今までのことを詫び、助けてくれと頼みます。
さて、男はどうするのでしょうか?
なんともすごい狂言ですね。
妻の口やかましさと姑の意地の悪さがよくわかる演出でした。
狂言は普通の歩きと違うのですが、この狂言では老人独特の歩き方を強調していました。
新作だからOKなんでしょう。
最後の「博奕十王」もちょっと趣の変わった狂言です。
またまた野村萬斎が出ています。
彼はこういうものが好きなのかもしれませんね。
閻魔大王役だったので、顔が見えず、それが良かったかも(失礼)。
閻魔大王と鬼達がぞろぞろと登場。鬼計5名(鬼は名でいいの?)。登場人物がいつもの倍です。
それぞれ面を被っておりますが、歩き方もコミカルで、全然怖くありません。
近頃地獄に来る罪人が少なくなって、鬼達は困っていました。
閻魔大王は鬼どもを引き連れ、六道の辻に出向き、死者が来るのを待ち受けます。
みずからが死者を地獄へ責め落とそうというのです。
そこにきたのが博打打ち。さっそく鬼どもが責めたて、閻魔のところまで連れて行きます。
博打打ちは、博奕は悪いことではない、みんながする遊びだと言い張ります。
閻魔はなんと博奕に興味を持ってしまい、博奕をやってみせてくれと頼みます。
そこで博打打ちは、閻魔を相手に博奕を始めます。サイコロの目をあてるというものです。
このサイコロ、何故か1の目がありません。
それなのに、閻魔は1の目ばかり張り続けます。馬鹿ですねぇ。
鬼が他の目に張るようにと言っても言うことを聞きません。
結局博打打ちに身ぐるみを剥がされてしまい、獲ったものを返してもらう代わりに、極楽へ案内することになってしまいます。
なんとも馬鹿な、そこがかわいい閻魔大王です。
狂言と言ってもいろいろとあるのだということがわかる公演でした。
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