高橋 克彦 『広重殺人事件』2010/12/20

広重と言うと、江戸の定火消しの家に生まれた下級武士だったそうな。
有名なのが「東海道」シリーズ。


こういう絵がお茶漬けについてきましたね。今もついているのかしら?
お茶漬けなんて食べないので、わかりません。

広重の死因がコレラと言われているようですが、このことが『広重殺人事件』でどう取り扱われているのかは、読んでのお楽しみです。

そうそう、少しネタバレがあるので、知りたくない人はここで読むのを止めてくださいませ。


盛岡で教師をしている津田は妻の冴子と山寺へ行きます。
冴子は皮膚癌の疑いがあり、最悪の場合は腕全体の切断も有りえると言われていました。津田が目を離したすきに、冴子は津田の足手まといになってはいけないと、自殺をしてしまいます。

冴子の葬儀も終わり、年末になり、心配した「美術現代」編集者の杉原と浮世絵研究者の塔馬が津田に会いにきます。
津田は彼らに「天童広重」に関しての論文を書いたと話します。その基になったのが広重の東北地方に旅をした様子を書いた絵日記だというのです。

「天童広重」とは、広重の肉筆が大量に天童で発見されたので、こう名付けられたのです。下のような絵が「天童広重」です。


広重は生前何回か東北地方を旅していますが、東北は描きませんでした。唯一描いたのが、福島の百目木でした。


何故東北を描かなかったのか?
彼も北斎と同じ隠密だったのか?

津田は塔馬と杉原と一緒に天童に取材に行きます。そこに広重の絵日記だけではなく、新しい絵が見つかったとの知らせが。

塔馬と杉原と別れ、図書館に行くと言っていた津田は冴子の死んだ山寺で見つかります。
彼も自殺を図ったのでした。

一体津田は広重の何を突き止め、死ななければならなかったのでしょうか。
津田の死後、塔馬が広重の謎に迫ります。


やっぱり予想通り、塔馬に主役を奪われてしまいました。なにも津田まで殺さなくてもと思うのは私だけでしょうか。
塔馬は高橋さんに愛されているようで、他の本にも登場しています。

冴子さんの死んだ訳もなんかパッとしません。片腕になって夫に迷惑をかけるから自殺するなんて、そんな人今時いるかしら?
こう思うのは私だけ?

本の中にあった「江戸名所四季之眺隅田川雪中之図」を探してみました。


たぶん、この絵だと思います。

出てくる絵がどんなのか、探しながら読んでみるのも楽しいですね。
江戸時代というと、ついこの間と思えるのですが、意外と絵師の生涯など知られていないことが多いので、このようなミステリーが書かれているのでしょう。

津田がいなくなったのですが、次の『歌麿殺贋事件』も面白そうなので、本屋で探してみますわ。

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